2014年11月30日日曜日
Google Street Viewによるヴァーチャルツアー(6):ミズリーナ湖からのDrei Zinnenの眺望
ミズリーナ湖からのDrei Zinnen(Tre Cime di Lavaredo)の眺望
ミズリーナ湖周辺の地図
2014年11月29日土曜日
Google Street Viewによるヴァーチャル・ツアー(2):マーラー少年時代の居住地イーグラウ(チェコ共和国イフラバ)
マーラーが暮らした家(プレートが嵌め込まれている)
イフラバ中心の広場
チェコ共和国イフラバ
Google Street Viewによるヴァーチャルツアー(3):マーラーが晩年を過ごしたトーブラッハ(イタリア共和国ドービアッコ)
トーブラッハのマーラーの別荘近くの風景
アルト・シュルダーバッハのマーラーの別荘(トレンカー・ホーフ)
ドービアッコ近郊の地図
Google Street Viewによるヴァーチャルツアー(4):マーラーが訪れたホテル・ドロミテンホーフ(ドロミテ渓谷)
マーラーが訪れたホテル・ドロミテンホーフの現在の姿
マーラーが歩いたVal di Fiscalina(Fischleintal)への入り口
正面の山はCroda Rossa di sesto(Sextener Rotwandt)
ホテル・ドロミテンホーフ近郊の地図
Google Street Viewによるヴァーチャルツアー(5):マーラーが晩年に訪れたシュルダーバッハ(イタリア共和国カルボニン)
マーラーが晩年に訪れたシュルダーバッハ(現在のカルボニン)の現在の風景
奥に見える山は、Croda Rossa d'Ampezzo
カルボニン近くにあるランドロ湖
カルボニン周辺の地図
Google Street Viewによるヴァーチャルツアー(1):マーラー生誕の地:カリシュト(チェコ共和国カリシチェ)
マーラーが生まれた家(プレートが嵌め込まれている)
中心の教会
チェコ共和国カリシチェ
Google mapの航空写真によるヴァーチャル・ツアー(5):マーラーが生涯を終えたレーヴのサナトリウム
Google mapの航空写真によるヴァーチャル・ツアー(4):アルマの実家のあったホーエ・ヴァルテ
マーラーと出会った頃の家、ヨーゼフ・ホフマン設計
1908年以降転居した場所
Google mapの航空写真によるヴァーチャル・ツアー(3):宮廷歌劇場監督時代にマーラーが住んでいたアウエンブルグ通りの家
Google mapの航空写真によるヴァーチャル・ツアー(2):アッター湖畔のシュタインバッハのマーラーの作曲小屋
Google mapの航空写真によるヴァーチャル・ツアー(1):ヴェルター湖畔のマイアーニクのマーラーの別荘
ヴェルター湖畔のマイアーニクのマーラーの別荘
2014年11月2日日曜日
マーラーの音楽の「風景」
歌詞を備えた音楽であれば、その歌詞の内容がそうした風景の中に映り込むことはほとんど避け難く、だけれども歌詞自体が喚起する風景もまた、ほとんどの場合そうであるように、具体的な地名を欠いていれば、「想像上の」(イマジナリー)風景であるには違いない。
一方で音楽外的な知識によって、作品が特定の地名と結びつくようなこともある。私が現実には訪れたことのないザルツカンマーグートの山塊(もっとも今日なら写真や映像で仮想的に見ることは幾らでもできるのだが)は、マーラーが見たことのない極東の風景と鏡像的な関係にあって、だから私はマーラーがワルターに語った言葉を文字通りに受け止め、現実のザルツカンマーグートではなく、第3交響曲の作品が内包している世界のヴァーチャルな山をこそ見るべきだし、「大地の歌」に極東の風景(それが中国なら、訪れたことがないという点では私にとってはマーラーが作曲をした場所と変わるところはないのだが)を見るのではなく、まさに音楽が描き出す、現実の何処でもない仮想の風景を見るべきなのだろう。
とはいうものの、風景が具体的なものである場合、例えば川が流れている場合、自分が現実に見た川そのものではなくても、それが抽象され、変形されたものによって「想像上の」(イマジナリー)風景が形成されることもまた、避け難い。川面に映る月、空を仰ぐと銀色の小舟のように漂う月もまた、所詮は同じ月を見ているのではあっても、ある日ある刻にある場所で見た月の印象の重畳が、音楽と歌詞とか呼び起こす風景の素材となっているはずである。そしてその風景は、変形されてはいても、或る日現実に出会う可能性がないともいえない現実性を帯びたものである場合もあるだろうし、或る種の幻視に近い、現実との接点が希薄な、生々しくはあっても抽象的な心的空間における像であることもあるだろう。
では同じ音楽を繰り返し聴くことによって、いつも同じ風景に辿り着くものだろうか?同じ演奏の録音であれば、恐らくそれはYesだろう。最初は共感覚的な基盤によって生じたそれは、少しずつ連想に近いものになっていき、細部が明確になったり、別の視野がひらけたりはしても、その風景は矛盾なく一貫したものであるだろう。だが同じ作品の異なる演奏の場合はどうだろうか。この場合には、同じ風景の少し異なる時間、異なる年の、異なる日の表情の違いに似た場合もあるだろうし、異なる風景が浮かぶこともあるだろう。
音楽が呼び起こすこうした「想像上の」(イマジナリー)風景が明確であればあるほど、同じ音楽が或る具体的な映像との組合せで提示されるような場合に当惑を惹き起こすことになる。拒絶反応とまではいかなくても、何か居心地の悪い感覚に囚われることは避け難い。
こうした風景は、実演を通して作品に接する頻度が低く、録音媒体による反復聴取が聴体験のほとんどを形成しているが故のものかも知れない。音が産み出される現場に居合わせることなく、まるで異なる時空から届くかのように音を受け止める聴き方が、その音が響いている異なる時空の風景を浮かび上がらせているという側面は否定し難いだろう。コンサートホールで、奏者が音を産み出す現場を目の当たりにしつつ、それとは異なる時空を目前にあるかの如くに思い浮かべるのは決して容易ではない。勿論コンサートホールであっても、眼を閉じてしまえばそれは可能かも知れないし、録音を聴く場合でも(幾つかの記念碑的な実況録音ではしばしば起きることだが)、演奏が行われている場の雰囲気の濃密さに風景の方が後景に退くこともあるだろう。だが、ではそれが録音再生テクノロジーの産物であり、作品自体とは無縁のものであるかと言えば、決してそんなことはない。少なくとも或る種の音楽は、それ自体が確実に、そうした風景を呼び起こす力を、私に対しては備えているということができる。
久しぶりにある作品を聴く行為は、私的で内面的な「想像上の」(イマジナリー)風景の空間における「帰郷」に近いものになる。見慣れた風景、あるべきところあるべきものが存在する或る種の確からしさの感覚。それはだが、懐旧の故郷などではない。その風景は、もともと私がその中に埋め込まれていた風景ではなく、それはもともと私の風景ではなかったところのもの、自らが迎え入れ、そこに自らを埋め込むことを選択した風景、そこに己の希望を托した未来としての風景、北村透谷の意味での「幻境」なのだ。
その風景は儚いものであり、それ自体遺しておかなければ喪われてしまう性格を帯びたもの、しかもそれは音楽が鳴り響く瞬間の、しかも音響が響く空間にではなく、それを聴取する私の裡にしかないものではあるけれど、人が生きるための糧を得る場所、そこに希望を見出しうる場所というのは、常にそういう性質のもの、「想像的」(イマジナリー)でしかありえないものではなかっただろうか?「私」の住処という点において、リアリティとヴァーチャリティの位相は逆転する。もっとも「私」というのがそもそもヴァーチャルな存在であり、それは構造的にはごく当たり前のことなのだろうが。
その風景は向こう岸を垣間見たものであったろうか。確実なことはその風景が、ある署名を備えた音楽作品によって喚び起こされるものであって、決して孤立した主観の中での幻想などではないということだ。勿論、現実の風景であってもそうであるように、各人の展望に応じて、そこに見出すものには差異があるだろう。けれどもそれは一旦作品としていわばデジタル化、量子化され、アーカイブされることによって、一つの世界を閉じ込めたものになる。どこか別の時と場所においても、私のような子供が或る日、流れ着いた壜を拾い、それを開けて、同じ風景に眺め入ることだろう。その時、風景は同時的ではなく、通常の意味合いでのコミュニケーションは成立せず、幽霊的なものでしかなくとも、なお共同主観的なものであり、受け取り手はそのことを(私がそうであるように)知っている。
表面的には絶望と厭世に彩られ、この世からの告別である音楽は、だが、トラウマを抱えているが故に、それ自体を語ることができず、己の苦しみを他の界面の投影することでようやく自己を維持しえている人間、そのようなかたちで語る以外の言葉を奪われ、それでもなお己の住まう岸から、誰かに届くことを願って壜に言葉を詰めて投じる他に、生き延びる術もなき人間にとっては、それ自体が「希望」に他ならない。「私はこの世で幸運に恵まれなかった」という呟きを我がものとする人間は、どこにもない、音楽が鳴り響く瞬間にしか存続しないかも知れない「永遠の大地」(何たる矛盾か!)を己れの「希望」の故郷とするのだ。
それは現実には最早ない「希望」ではあるけれど、丁度、作品の提示する風景の中に自らを置く瞬間だけ、想像の上でであれ、己を其処に託すことができる「希望」なのであり、それは貧しい心の持ち主が、己の一生を全うすべく、己にとっては何らの「希望」なき現実を歩むための糧なのである。聴き始めてから35年以上の歳月を経て、再び聴く「大地の歌」という作品は、少なくとも私にとっては、かつての子供であった私にとってそうであったように、だが、その後の世の成り行きに抗いようもなく翻弄され、今なおしばらくの間はその中で生き続けなくてはならない私にとってはより一層切実に、そうした「希望」に他ならないのだ。その風景の中に立つことが、ささやかなものであっても 或る価値へのコミットメントであり、そうすることを通じて私もまた、世の成り行きの勝者達にとっては存在しない風景の住人、幽霊(レヴェルゲ)達の行進に加わるのである。そして私は小声で証言する。「確かに私はその音楽を聴き、その風景を見た」、と。仮令客観的にはデブリの如きものであったとしても、証言することによって私は辛うじて、私自身をも超えて生き延びる。現実の私は沈黙を保ったとしても、「想像上の」(イマジナリー)風景に住む私が語り、私を離れた言葉が、私をではなく、私が見たもの、体験した出来事を、「想像上の」(イマジナリー)風景の中を通って漂流を続ける。私にはそれを見届けることができないことが、ここでは最大の慰めとなる。(2014.11.02)
2014年9月14日日曜日
カフカの「審判」について:アドルノを介して、マーラーからの視点
カフカの「審判」について、アドルノのマーラー論における第9交響曲ロンド・ブルレスケのくだりでの参照を 起点に、ここでの議論のいわば対旋律として発展させるための準備として。
注意しなくてはならない。ある日突然理由も無く逮捕され、処刑される。これはだが、現存在の被投性そのものかも知れない。
その一方で、彼は有罪なのか?という問いに対して、ローマ人の手紙のパウロの言葉によって答えてみるとどういうことになるか? あるいはここで「カラマーゾフの兄弟」のマルケル=ゾシマ=アリョーシャ(=ミーチャ)のテーゼを思い起こすと、どういうことになるか? デリダの「掟の門前」論における「白い小石」と重ね合わせてみたら?
»Ich bin aber nicht schuldig«, sagte K., »es ist ein Irrtum. Wie kann denn ein Mensch überhaupt schuldig sein. Wir sind hier doch alle Menschen, einer wie der andere.« »Das ist richtig«, sagte der Geistliche, »aber so pflegen die Schuldigen zu reden.«
K.の誤りは、自分が無罪だと思っているということに存するのか?この問いは幾つもの水準で発しうるし、その水準によって答えは異なるように 思えるが、それでいいのか?全体主義国家の秘密警察による突然の連行と秘密処刑。デリダ自身、チェコでそういう目にあって、それを 想起しつつこれを書いているのだ。それに対して神学的な解釈は一体どのように応じるのか?イヴァンの論文に対するミウーソフの反応に対して。 或いは、ある仕方で国家が教会に包摂されたのかも知れない、或る種のイスラム国家におけるイスラム法学者による支配はどうなのか? オウム真理教をはじめとする新興宗教の論理は?キェルケゴール的な倫理的なものの目的論的停止は全体主義への屈服でないとどうして言えるのか?
だが、パウロはローマ人への書簡で何と言っているのか?この書簡を(デリダが言うように、そして、ジッドの自由主義的聖書解釈に逆らって)、 旧約と新約の間のずれや揺れの中で読んでみたら、どういうことになるのか?そして、カフカの「審判」はそれに対してどのように位置づけられるのか?
もう一方で、世俗的な法による調停と、内面化された法の間のずれや揺れの方はどうなのか?これは「カラマーゾフの兄弟」の「誤審」の問題そのものである。 では「審判」ではその点はどうなのか?K.はマルケル=ゾシマ=アリョーシャ(=ミーチャ)の水準では思考も行動もしていないように見える。 寧ろ、彼にとって法は端的に自分の外部にあって、自分に暴力的に襲いかかるものであって、それに対しては自己弁護しかないかのようだ。 この物語が、全体主義国家の秘密警察による突然の連行と秘密処刑と似るのは、そうしたK.の態度にあるのだろうか?
だとしたら、「審判」において、「掟の門前」の寓話が語られるのが、大聖堂の中でであり、しかもここでは裁判官でも廷吏でも弁護士でもなく、 僧侶との対話が行われることはどういう意味を持つのか。カール・バルトは「ローマ書講解」において「宗教の意味は、罪がこの世のこの人間を支配する力を示すことにある。」と 言っていることを思い起こして見たら、どうなるのか?
* * *
ドゥルーズ=ガタリは「審判」の「終り」の章がKのみた夢との推測をしている。 だが、これは一見したところでは馬鹿げている。それを許容したとたん、そもそもの発端から 全て夢では何故いけないのか、否、実際にはタイトルすらない草稿の各分冊は、 そもそももう一人のKが見た夢そのものではないのかと問うてみてはいけないのか? また基本的には無限の系列(セリー)であり、終りに重きを置いていないが、これは城と審判の差異を蔑ろにするものだろう。 カフカは始めと終りを最初に鏡像のように、互いが互いの分身であるかのように書いた。勿論、始点と終点があるからといって、無限がそこに含まれていないわけではない。 寧ろ、有限な長さの線分に含まれている無理数に対するデデキントの切断のような操作の無限性の方が、終りのない空間的な無限性よりも興味深いし、 一層ユダヤ=ヘブライ的とさえ言えるのではないか?ドゥルーズが別のところで示す無限概念に関する数学的センスの欠如、更には超越を単純に否定し、 内在に優位を置くナイーブさと共通のものを感じずにはいられない。
* * *
最後が夢であるということは、実際のカフカの創作活動という外側のレベルにおいて起きたことであるという見方も可能だろう。ザムザも次の小説で甦り、ここでのKもまた、 今度は「城」を舞台に甦る。カフカは結核に冒されて早逝したが、ナイフが結核に置き換わる例というのは、例えばドストエフスキーの「白痴」のムイシュキン ないしナスターシャとイッポリートを思い浮かべることができるだろうが、もしカフカが生き永らえたら、Kの復活が繰り返されるのだろう。その作業には恐らくは終りがない。
* * *
デリダの「掟の門前」、ドゥルーズ=ガタリのカフカ論、ジッドがカフカの「審判」を戯曲にしていること。アドルノのマーラー論における「審判」の参照。 ユダヤ思想、ヘブライ的時間意識・存在論の反映(坂内正の指摘による)。
* * *
三瓶の「審判」論。自己認識の投影であるという見方は説得力があるかに見えるが、「他者」の力を、主体に対する「暴力」を消去してしまうように見える。 逮捕の衝撃、審判の過程、その終結は、決して自己認識の投影ではない。それは全体を主体のみる「夢」に還元する議論と結局は変わることがない。 そうした主観的観念論は既に使い古されている。自己認識がないというのではないし、自己認識という契機の重要性は疑うべくもない。 だが、触発が「外部」から到来すること、それに対して主体は基礎存在論的な水準において「受動的」(つまりレヴィナスの「受動的よりも受動的な受動性」) でしかないという存在論的構造を看過してはならない。
Kaufmann Block - Kündigung des Advokatenの章における「美しさ」に注目するのは卓見である。 »Wenn man den richtigen Blick dafür hat, findet man die Angeklagten wirklich oft schön.« / »Die Angeklagten sind eben die Schönsten. Es kann nicht die Schuld sein, die sie schön macht, denn - so muß wenigstens ich als Advokat sprechen - es sind doch nicht alle schuldig, es kann auch nicht die richtige Strafe sein, die sie jetzt schon schön macht, denn es werden doch nicht alle bestraft, es kann also nur an dem gegen sie erhobenen Verfahren liegen, das ihnen irgendwie anhaftet. Allerdings gibt es unter den Schönen auch besonders schöne. Schön sind aber alle, selbst Block, dieser elende Wurm.« またカフカが「作品空間内で<美>の文学的形象化をほとんど行わなかった、もしくはできなかった」 (p.248)という指摘も全く妥当である。だが、だとしたら「審判」では「宣言」されただけの「美」が「城」において形象力を獲得したというのは本当か? 前段の文章の「作品空間」のスコープはどうなっているのか?概して三瓶の主張は、その個別の指摘において妥当だし、ゾーケル他の先行研究に対する批判も概ね 当たっていると思われるが、肝心の自己の主張の一貫性の見通しは決して良くない。それはある種の弁証法的構造を持っている(カフカの側がそうであるのに 恐らくは対応しているのだろう)が故のわかりにくさというのもあるだろうが。
三瓶はカフカに(恐らく世俗化し、形骸化した)キリスト教への批判を読み取ろうとする。だが、そうするたびに直ちにそれが目的ではないとも述べる。 これは奇妙に見える。カフカにとってキリスト教批判がそんなに問題であったとは思えないし、表面的であれ、それがキリスト教の現状に対する批判で あると考える必要すらなく、直ちに、より原理的な水準に移って都合が悪いことはなさそうだ。そうした迂回は寧ろ三瓶自身の何らかの心理的な 障壁の存在すら感じさせる。
「美」(Schön)の問題は、直ちにドストエフスキーの「白痴」のテーマ系との対比を呼び覚ますだろう。一方で「審判」の作品の内部の世界を、 「狭き門」のヴァリアントとして読むことが可能かも知れない。その時、寧ろ問われるべきは、アリサのいう「聖らかさ」とそこで対比される「幸福」 という、「審判」の世界では、否定的なかたちですら出現しない契機であることがわかる。 – Que peut préférer l’âme au bonheur ? m’écriai-je impétueusement. Elle murmura : – La sainteté… si bas que, ce mot, je le devinai plutôt que je ne pus l’entendre.
有責性に関する自己認識の契機が必要であることは言うまでもないことだが、それでもなお、そうした認識は決して自己認識の閉じた回路の 中からは出てこないし、ここでいう心の構造、つまり意識のみならず前意識・無意識といったものも含めてフロイト的な心のモデルを 前提としたところで、そうした構造の生成を問うならば、そこには他者との遭遇、外部への被曝、外傷的経験といった契機がある。 「審判」における「逮捕」は、三瓶の主張では寧ろ肯定的な契機、頽落した「人」(Das Mann)としての存在様態からの覚醒のための 必須の契機であるのようだ。それは非日常的な地平への経路ともなると見做されている。だがここでの非日常は、人間がそれに対して 無力でしかないような天変地異がもたらすそれ、あるいはある種の事故のように、道具的な連関の破綻に似ていて、いわば超越的な契機を 欠いている。超越的な契機の不在、ないし拒否というのが、カフカの特質の一つであるのは確かであり、三瓶の主張も結局そのような ことになるのだろうが。
* * *
アガンベンのカフカ論における古代ローマ法からの「審判」読解。Kはkalumniator(誣告者)の頭文字であり、中傷しているのはヨーゼフ・K自身である という解釈も類似の構造を持つ。そこに「カフカという作家の強烈無比な「喜劇性」が存在する」かどうかなどどうでも良いことだ。 それを「喜劇性」と呼んだから、一体どうしたというのだ?そもそも、悲劇は義人の罪深さとして現われ、喜劇は罪深い者の義認として現われることになる (イタリア的カテゴリー)として、本当にカフカは後者を主題としているのか?罪は存在していない、あるいはむしろ、唯一の罪とは自己誣告であり、 存在しない罪をみずから告白することによって、この罪は成立しているのであるとして、「存在しない罪を自白するとはすなわち、 みずからの無実を告白することであ」るのは本当か?これは誤謬推理に導かれた論理的同値に過ぎないだろう(これがわからないのは、自然言語処理 研究と並行して発展してきた20世紀の論理学・形式意味論の成果をそっくり否定することに他ならない。)。だから 「それゆえこれはまぎれもなく喜劇的な身振りである」などとはいえない。なぜなら、義人の罪深さと罪深い者の義認の差異は、まさにその推理が 乗り越える差異そのものだからだ。だからこの議論にとらわれることなく、自己誣告の構造から何が導き出されるかの帰趨は別途見極める必要があるだろう。
「カフカの名状し難い罪責感は彼の作品を一貫しているテマティスムであるが、もしかすると彼は何かに責められ、罪人であるという自覚を持つことによって、 「生の息吹の奪還」を図っていたのかもしれない。」というのは、三瓶の「有責性」の自己認識と変わるところがない。 法への懐疑、罪なくして刑罰はないという原理を疑うというのはその通りであるとして、一体、それを促す力はどこに由来するのか? 自己誣告の「審判」という作品の文脈における帰結が、「訴訟を(自ら)開始することに罪が存する」のであるとしたならば、 「審判」とは一体如何なる物語であるのか?一見したところ、冒頭のJemandが誰なのかは問われることがなく、それは修辞的な ものであるかに見えるが、実際にはJemandが誰であるのかを探す物語なのではないか?それがK自身であることは如何にしてわかるのか? 読者にとって?作者にとって?作中の人物達にとって?誰よりKにとって?そしてそのとき「掟の門前」の物語の持つ意味は?
「原罪」とは「自己誣告」であるというのがアガンベンの主張の核心に存在する。そしてこれはカフカ自身の発言とされる 「原罪、すなわち人類が犯した太古の過ちは、人類が引き起こした告訴、取り下げることをしなかった告訴によって成り立っている。 というのも、迷惑をこうむったのは人類であり、原罪とは人類にたいしてなされた過ちなのだから」によって支持されると解釈されている。 上で問いを立てた小説の構造はおくとして、ここで扱われている基本的な事態(出来事)はどうなっているのか? Kの自己誣告で逮捕が生じる。逮捕を引き起こしたのがK.自身なのだ。K.は罰を受けなくてはならないが、それはなぜか? 誣告自体が罪なのか?誣告の帰結として、罪が生じたのか?(この両者は同じではない。)アガンベンの立場は明白に前者であろう。 ところで、K.の自己誣告が問題であるとしたら、(これはまさにカフカが言っていることなのだが)なぜ彼は告訴を 取り下げることをしなかったのかが問われなくてはならない。
そしてこの「自己誣告」は、やはりフロイト的な心的システムにおける超自我、イドとの葛藤の物語に回収される可能性を 含み持つ。「自己誣告」は「有責性の自己認識」とどれだけ異なるのかの距離の見極めが必要なのだ。罪は外在的なものではなく、 内的なメカニズムによって生じるとしたら、後は「有責性」が、いわば後付けの理屈的な合理化、「誣告があったからには 罪があったのだろう」という、これまた誤謬推理によるものではないかという問いが成り立つわけだ。
であるとしたら、結局、「自己誣告」という主張は、何らここで問おうとしている構造を変えるものではない。 問いは、「誰」が「自己誣告」をしたかには存していない(実際「審判」という物語自体もそれは問わない)。 なぜ「自己誣告」が行われたか、「自己誣告」を可能にするような構造はどのようにして生成したのかが問われなくてはならない。 するともう一度、「外部」を問わなくてはならなくなる。排除したはずの超越性は、単にそれを語ることを拒絶しただけであり、 超越性の認識を否定することは、それ自体、問題の理解を拒む振舞いでしかない。もう一度「誣告」のメカニズムを 作動させる「外部」が問題になるのだ。であるとしたら、本当にアガンベンの言うように、この審級において、 法それ自体の攪乱が起きているのだろうか? カフカはその点において、「これまでの文学の中でも最もラディカルな抵抗者である」とか「カフカの今日、 未来において最も先鋭的で独創的な点がある」などと言えるのだろうか?
そしてそれとは差し当たり独立になお、「なぜ彼は告訴を取り下げることをしなかったのか」を問うこともまた 可能であることに注意しよう。そしてこれもまた、法それ自体の攪乱という観点を経由して、カフカのラディカルな 抵抗者であるという評価の是非にも繋がるだろう。
勿論、(同じことなのだが)カフカが自白を支持するユダヤ=キリスト教的な文化に反するもので、 むしろ自白を「不愉快で危険に満ちている」と定義したキケロに通じるという発想は検討には値しよう。 これは一体「自己誣告」とはどう関わるのか?自己認識と自己欺瞞の、いわゆる「意識=良心」の構造とはどう関わるのか? これはドゥルーズの「カントは、法についてのギリシア的な考え方からユダヤ=キリスト教的な考え方 への転倒に関する合理的な理論を作った。つまり、法はそれに対してひとつの材料を与えるような、 あらかじめ存在する善にはもはや依存せず、善が善として依存する純粋なフォルムである。 法がそれ自体を言表する形式上の諸条件の中で、法が言表するものが善である。 カフカは、このような転倒のなかにあると言えよう。」という見方とどう関係づけられるのか?カフカはまさにそうした転倒の 「最もラディカルな抵抗者」だと言うのだろうか?
K.という固有名の付与、それがダヴィデ・スティミッリの解釈であるKalumnia(中傷、誣告)を意味するものであるとして、 本当に最初にあったのは自己誣告なのか?そもそもカフカのいう「原罪」にあたる告訴は、本当はどういうものだったのか? 告訴自体が罪であることは認めたとして、一体その告訴が、自分自身のものであると決め付けることができるのは 如何なる理由によってなのか?古代ローマの裁判において、中傷=誣告[虚偽の事実を言い立てて、他人を罪に陥れる犯罪]は 司法機関にとってきわめて重大な脅威であり、偽証をした告発者は額にKの文字の焼印を捺され罰せられたという背景を 素直に受け取れば、K.は自分ではない「他者」を誣告したと考えるのではないか?そしてその誣告を取り下げなかったことが 罪となったのではないか?カフカの引用の文章の読みは妥当なのだろうか?
恐らくはマーラーの音楽に即して「審判」を読む限り、自己誣告が正当化されることはないだろう。ドゥルーズ=ガタリの 「夢」解釈も成り立たないだろう。あなた方は全体主義国家の恐ろしさを知らない。幸いなことに全体主義でない国家に おいてさえ、誣告されることの恐ろしさを知らない。まさに「審判」という作品自体が告げていることだが、 自己弁護は無償ではないし、アドルノが引用した結末の叫びは、法治国家においてさえ、他者による誣告が生じれば 避け難いものになる。中立的な状態があって、裁きの結果として二値の価値付けが行われるのではない。 誣告が生じれば、まず彼は被告であり、暫定的であれ有罪なのだ。そして彼はそれを自ら否定しなくてはならない。 誣告の暴力は、それ自体によってまず相手をマイナスの状態に陥れることにある。この点では反訴は虚しい。 誣告者をもマイナスの状態に陥れることはできても、自分のマイナスの状態は些かも変わらない。そしてマイナスを 解消するために、彼は、そうでなければする必要のない自己弁護をし、証言をし、それらが彼を、そうでなかった 場合の彼から遠ざけていく。「カラマーゾフの兄弟」におけるミーチャの尋問に対する反応を思い浮かべるが良い。 だれが誣告者であるか、誰が共犯者であるかは、文学研究者の自説の奇抜さを競うための具になってしまっている という事情は、「カラマーゾフの兄弟」でも「白痴」でも起きているが、あろうことか「審判」では自己誣告という かたちで起きているというわけだ。そもそもそうした新規な説自体が、作品に対する誣告であるいうような 状況が起きている。法もまた暴力であることは確かだ。だけれども、誣告は法の存在を前提としつつ、それでもなお、 それに先立つ暴力ではないか?その暴力は法を利用するが、法自体に由来するわけではない。法自体に由来する暴力は 別に被告を苛むことになるだろう。法が言表するものが善であるとして、だが無実の被告を有罪とするのは法自体ではない。 法を利用した暴力は、法の暴力ではない。(2014.9.14 公開)
2014年9月6日土曜日
ヴェーベルンからみたマーラー
ちなみに、私はウェーベルンの物の感じ方とか見方に親近感を覚えているけれど、 マーラーを尊敬していたというのも、不思議でも何でもない、とてもよくわかる気が するのである。少なくとも世上言われるほど意外な組み合わせでは決してないと思う。
それにしても、この音楽は法外だと感じる。これほどの大管弦楽を用いて、しかも 1時間半にわたって表出される内容の私的な性質は、ある種の美学からすれば到底 許すことができない放恣として映るだろう。けれども、だからといってこの音楽の 私性を中和してしまうのは誤りだと思う。この音楽の巨大さはイワン・カラマーゾフが 大審問官を語る前にアリョーシャに語った「叛逆」に通じるのではないか?
マーラーはウィーンを去った後、「私の人生は盗まれた」と語ったという。 これを独りよがりと採る人には、同時にこの音楽も独りよがりの最たるものであろう。 けれども私は、彼がそのように語るのを不当だと断罪する気にはなれない。 才能も、能力もはるかに劣る人間でさえ、そうした、成し遂げようとすることに 対する感情的な妨害(それは大抵、別の理想との対決といったものではない、 単なる無意味な、妨害のための妨害に過ぎない)や、成し遂げたことに対する 狡猾な強奪(途を切り開くことは困難だが、その後をついて歩いて拾った落穂を 我が物顔で自慢するのは容易なことだ)に遭えば悄然とするであろう。彼は 疑いなく能力があったし、理想の実現のために膝を屈し、妥協をする実際的な 判断力もあった。けれども、自分の来た途をあるとき振り返って、そうした 犠牲の対価として得たもの、自分の努力の最終的な報いを改めて確認したときに、 「私の人生は盗まれた」という述懐をするのを誰が禁じることができるだろう。 「神の衣を織る」ことに価値をおき、そしてそうすることができた人間のセルフ・ ポートレートに対して、私は到底否定的にはなれない。
バルビローリの演奏は、同じように「成し遂げることが」できる人間、そのために 努力を惜しまない(そう、能力のある人間ほど努力もするものなのだ)もう一人の 指揮者による共感に満ち溢れているように思える。その度合いを超えて 個人的にはこの演奏以外で聴いてみたかったのは、本人を除けばウェーベルンの 指揮した演奏くらいのものだ。
かつてはシューマンがそうであったように、そして初演時のマーラー自身が (あれほどのプロフェッショナルであった彼としては例外的なことに)そうで あったように、ウェーベルンもその資質から、この音楽の実質に打ちのめされ 溺れてしまって、(しばしば実際にそうであったと伝えられるように)この 曲の指揮を冷静にし遂げることができたかが心配になるが、けれどもそうした 音楽の内実に対する深い共感が、バルビローリが成し遂げたようなぎりぎりの 均衡を達成できた時には、類稀な感動的な演奏になっただろうと想像される。ベルクが夕食を忘れるほど熱狂したあのウェーベルン指揮のマーラーの 第3交響曲の演奏が恐らくそうであったように。(2002.4)
2014年7月11日金曜日
仮想の移動性をもった視線によるマーラー巡礼
実際にドロミテの地を訪れた林邦之さんのご質問がきっかけで、机上でドロミテのマーラーの足跡を辿った記録を 公開したのは、もう4年も前のことになる。同じ年の数ヵ月後、近年のマーラー受容を支える技術的環境を巡ってのメモを、 マーラーに出会った30年以上前の状況の記録の補遺として記して公開した。この2つが同じ年に書かれたのは決して 偶然ではなく、片や伝記的・地誌的な事柄、片や出版譜や文献へのアクセスと対象こそ異なるものの、いずれも インターネットの普及による変化の影響が、自分がマーラーを受容する上で無視できなくなった認識に基づき 記述したものである。
それから4年後、改めて技術的環境の変化が、マーラーの人と音楽に接するにあたり少なからぬインパクトを持つことを 実感したことから、ここにその経緯を記録しておくことにしたい。更に5年経ち、10年経った時、その都度、 定点観測のように記録を残すことになるかも知れないが、そうなったら受容史のコーパスとしてはそれなりに 意義を持つことになるかも知れない。それらをマーラーが生きていた100年以上前の技術的な環境と対比させることは、 マーラーの音楽が世代を超え、地理的・文化的な隔たりを超えて聴き続ける際の前提となる隔たりを確認する上でも 意味のないことではあるまい。
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4年前にドロミテについて机上で調査をした時にもWebを通じて入手できる情報は大きな助けになったのだが、 その後のオンライン地図の充実は著しく、現時点では自分の居住している地域、国ではなく、空間的に遠隔の地であっても、 かつては入手自体が困難であった現地の小路まで確認できる縮尺の地図が閲覧可能になっているし、加えて 上空からの画像と切り替えながら場所の確認をすることができるようになっている。
更にはストリート・ビューによって、自宅に居ながらにして遠隔の地を訪れ、あたかもその場を移動して いるかのように移りゆく風景を眺めることすら可能になっている地域もある。 以前私は南チロルを紹介したWebサイトから入手した鳥瞰図でデューレン湖(現在はランドロ湖と呼ばれる)と シュルダーバッハ(これも現在はカルボニンと呼ばれる)の位置関係、 ランドロ渓谷からトープラッハ湖(現在はドッビアーコ湖)を経てトープラッハ(同じく現在はドッビアーコ)に 至るルートが視覚的に容易に確認できることを 記したが、今やそのルートをストリートビューでヴァーチャルに踏破することができるようになっているのだ。 あるいはまたマーラーが登山の途中といった様子でフィッシュラインタール(ないしフィッシュラインボーデン)の 坂の途中で一息ついている有名な写真があるが、その写真が撮影された場所の正確な同定はできなくても、 マーラーが宿泊した記録のあるホテル・ドロミテンホーフの今日の姿を確認することができるのである。
ただし、マーラーの場合には 主要な活動地域であったオーストリアとドイツはオプトアウトのためにGoogle MapsやGoogle Earth上での ストリート・ビューの画像は存在しない。結果的に旧オーストリア・ハンガリー帝国領でストリート・ ビューによる「仮想の移動性をもった視線によるマーラー巡礼」ができるのは、チェコやイタリアの ドロミテ地方などに限定され、例えばアッター湖畔のシュタインバッハ、ヴェルター湖畔のマイアーニクなどは 上空からの写真のみでの確認に限定される。マーラーが「もう作曲してしまったから、見る必要はない」と 言ったとされるザルツカンマーグートの山塊も、地上からの眺望は、地図にアップロードされた写真によって 確認できるにすぎず、これだとレコードやCDのジャケットの写真を眺めるのと、知覚のモードとしては 大きく変わるところはない。それでも上空からの写真の解像度は極めて高く、アッター湖畔のシュタインバッハの 作曲小屋は湖水の岸辺にあることもあり、写真で小屋の場所が確認できてしまうほどである。宮廷歌劇場監督で あったマーラーがアルマとともに住んでいたウィーンのアウエンブルガー通りのアパートから歌劇場までの ルートを辿るのも容易だし、アルマの実家があったホーエ・ヴァルテにしても一軒一軒の住居を識別することが できてしまいそうだし、グリンツィンク墓地に至ってはマーラーの墓が識別できてしまいかねないほどなのだ。 上空からの映像が既にそうなのだから、プライヴァシーに敏感なドイツ、オーストリアの人々が ストリートビューを排除したくなるのも仕方がないように思われる。
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ストリートビューにフォーカスすると、ヴァーチャルな移動性に重点が置かれ勝ちではあるが、そもそも そのような「仮想の移動性をもった視線によるマーラー巡礼」が可能になるためには、幾つかの要件が 存在している。4年前の探索についてもその点については基本的に同じだった筈なのだが、結局のところ マーラーの生きた時代と現代とが歴史的に見ていわば「地続き」である点が大きいように思われる。
マーラーが生まれた150年前から100年前にかけての時代は、写真撮影が一般的になり、ヨーロッパ中を繋ぐ 鉄道網が発達し、船舶による大西洋横断が普通になった時代である。マーラーについて言えば、マーラー 自身の各年代毎の肖像写真は勿論、カリシュトの生家やイグラウの住居についてさえ当時の写真が残っていて、 それを現在の写真と比較することが可能になっている。だが一見すると当たり前に見える状況も、 マーラーが50年前、100年前に生まれていたら同じ程度には成立しえないことは容易に想像できるだろう。 例えばシューマンには辛うじて晩年に撮影された写真が残っているが、古典期の作曲家ではそれは期待できようはずがない。
直接テクノロジーが関与したメディアではなくても、例えば1世紀前のある場所が 今日の地図上で特定できるということすら自明のことではない。地名・住所は恒久的なものではなく、 現在の地名・住所との対応付け、位置の比定のためには、まず過去の側に地名や住居表示のシステムが あることが前提で、かつそれの今日までの変遷が辿れる必要がある。 今日であればGPSを使って 位置を正確にアイデンティファイできるから、仮に開発等で景観が変わったとしても場所の同定は可能だが、 100年前についてはそれはできないから、墓や記念碑、住居や街区の保存やプレートの設置等、 場所を記憶するための努力なしに100年前の個人の足跡を辿ることは不可能に近い試みである。
マーラーの場合には、カリシュトの生家やイグラウの住居から、シュタインバッハやマイアーニク、 トーブラッハの夏の住まいから作曲小屋に至るまで、保存の努力がなされているからこそ、 仮想の移動性をもった視線によるマーラー巡礼が可能になっているのだ。私の4年を隔てた 2度のヴァーチャルな机上での巡礼すら、その寄与は限りなくわずかなものであるにせよ、 そうしたマーラーを記念して記録する行為の一端ではあり、 マーラーの誕生日である7月7日に開始して数日後に報告の文章を草するという作業の反復は、 実際には4年前も偶々同じ時期にそれをしていたことを、この文章を書き始めるまで忘れていたにせよ、 過去を再現を企てる儀礼としての側面を、無意識のうちに帯びていたことになるだろう。 所詮は100年後、150年後の風景であり、当時のままである筈は無く、それは当時の写真と比較すれば すぐにわかることでもあるけれど、そうした差異の上で、差異にも関わらず同じ場所を訪れること、 マーラーの足跡を辿ることが「巡礼」として成り立っているのである。
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とはいうものの、Google Maps やGoogle Earthで確認できるアップロードされた写真の位置は必ずしも 信頼できないというのは、かつての書籍での記述の混乱と変わるところはない。今回確認できた例を幾つか 挙げれば、トーブラッハでマーラーが過した家の隣にある「アルト・シュルダーバッハの動物園」 なるものが、トーブラッハの中心からの方角では全く逆の方向のある地点に存在するかのように マーキングされていたし、グリンツィンク墓地におけるマーラーの墓の位置については幾つかの写真が 大きく分けて2つの異なる区画にアップロードされていたりする。また、これはマーラーを記念する 意図に由来する、些かアイロニカルな状況だが、マーラーを記念して通りの名前をマーラー通りに してしまったために、かつての通りの名前が現在の地図では喪われているようなことも起きるのである。
更に、これはストリートビューの撮影の仕方がもたらした一時的な事象である可能性もあろうが、 マーラーの生地カリシュトのストリートビューについては面白いことが起きている。 マーラーの生家はカリシュトの中心の道沿いにあり、道に面した軒側の壁にはめ込んである マーラーのレリーフと、切妻の壁に記されたMAHLERの文字によりすぐにそれとわかるのだが、 マーラーの家の前を通り過ぎるときに緑に囲まれ、青空の広がっている風景が、少し先の交差点で 町の中心にある教会の方に道を折れ曲がると、途端に雪景色の中の村の風景に変貌するのである。 ストリートビューの撮影車によるカリシュトの訪問は季節を変えて少なくとも2度(2011年9月、 2012年2月)行われており、その結果を単一のルートのストリートビューとして並存させている 結果なのだが、360度撮影のストリートビューの特徴を生かして後方を振り返ると、 先ほど緑の中にあったマーラーの家が来た道の奥に、雪の中に佇んでいるのを確認することができる。
かくして150年後のそれであることをおいても、ストリートビューで日本に居ながら 見ることのできるカリシュトの2つの季節の風景は、だがマーラー自身の見たはずのそれと 重ね合わせることが可能なのであろうか?記録によればマーラーは生まれてほどなくして 家族ともどもイグラウに移ってしまっているようだ。とすれば、マーラーがカリシュトの 冬を過したとしてもなお、雪景色のカリシュトの記憶があったかどうかははっきりと しないのではなかろうか?もちろん、イグラウに移ってからもカリシュトを訪れることは 可能だったろうが、それをしたかどうかもまたわからない(成人して後も、イーグラウには しばしば戻ったことは確認できるのだが)としたならば、マーラー自身の見た風景であるか どうかは結局のところ想像の領域の事柄であろう。(一方、後日晩年のマーラーがカリシュトの 生家の写真を友人と眺める機会があったらしいことは記録に残っているようだ。当時ストリート・ ビューがあれば、生家をヴァーチャルに訪れることも可能だったに違いないし、当時最先端の 自動車に乗ったこともあるらしい(アルマの回想録にそういう記述がある)マーラーの ことだから、きっと関心を示したであろうと思うが、いずれにせよ、マーラー自身が写真と いう技術が記憶と知覚に介入する時代に既に生きていたということは間違いないことである。)
更にイグラウ近郊では、今度は春先と夏と秋の晴れた日の交代を確認することができる。 撮影日を確認すると2011年7月,9月 2012年3月,4月が混在しているようで、交差点ではデータの 上書きの仕方による効果であろう、それらの季節が一瞬だけ交替するようなケースも確認できる。 イグラウの近郊は落葉樹が主体の植生のようなので、季節の交替は樹叢の姿によってはっきりと 感じられるし、電線が地下に埋設されず電柱が立っている風景は、どことなく日本の郊外の 風景を見ているような錯覚に囚われることもしばしばである。
恐らくストリートビューの世界というのは時空のあり方が現実のそれとは異なる独立の世界であると考えた 方が良いのだろう。時間は車載カメラが通過した日付で固定され、地域の間にはしばしば不連続面が 生じる。空間的にも、車載カメラが通れる道路および道路からの展望のみが存在し、車載カメラの視界の外は 存在しない。人間はたとえ見えなくても空間と空間の隙間を補完してしまうのに対して、ここでは 空間は網目上の構造をなしていて網目の隙間というのは世界に属していないと考えるべきなのだ。 データは徐々に追加・更新・(オプトアウト等を考えれば)削除がなされていくだろうから、 更新処理によって時空が不連続に別の点に飛び移るような時間の構造を持っていると考えられる。 更新されなければある地点の時間はある日付と時刻に固定され、何度同じところを繰り返し通っても、 現実の世界でそうする場合とは異なって、その間に時間が経過し、景観の変化が起きているということはない。 寧ろ車載カメラの移動方向に沿って時間が流れ、逆行するときには、時間は逆流していると考えるべきだろう。 ここではいわば一筆書きの要領で、空間中のある有向線分に沿って、その近傍だけ時間が 流れていくのである。空間的には網目に見える構造も、時間的には線分が集まるノードである交差点は、 その内の入ってくる一本と出て行く一本の線分は時間的に連続していても、それ以外のものとは 不連続になっていて、未来へか過去へか、飛躍が起きる特異点になっている。
ストリートビューの時空の構造を確認していると、マーラーの交響曲の持っている時間の構造を 思い浮かべずには居られない。勿論それは両者が似ているということではなく、全く異なるのだが、 ストリートビューは一つ一つは基本的に一筆書きのリニアな時間を持った撮影日が異なる画像が 道路のネットワーク構造に沿って重ね書きされることで時間の連続・不連続が偶然的な仕方で確定するという 単純な構造になっているのに対して、マーラーの音楽の時間の構造は(勿論、創作の順序の痕跡で あろうはずはないが、その一方で古典期の工芸品的な構造を持つ作品とは異なって)、 意識の流れのようでもあり、だがあちらこちらに不連続面があり、多層的であったりしているのであり、 そうした構造を現象学的時間論の枠組みに引き寄せて聴取の時間の流れに射影して捉えるのではなく、 それ自体として捉えようとする際のヒントとなるように思われたのである。
それはまたアドルノが一方では擬似心理学的な「突破」「停滞」 「充足」「崩壊」といったカテゴリによって、他方ではヴァリアンテといった技法的な側面から 捉えようとしたマーラーの作品の時間論的構造を、或る種の人工物の存在論として記述していく ための手がかりになるに違いない。ラッヘンマンは楽曲の聴取を「旅」に喩えたが、 ここでの仮想の移動性をもった視線によるマーラー巡礼は、ストリートビューの持つ時間構造の 上での旅であった。そこでマーラーの作品の聴取という「旅」の経験の基盤となっている楽曲自体の 持っている時間構造を作品自体に即して捉えるための方法を問題にしているのである。
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ところで4年前ドロミテについて調べた折に、アドルノのマーラーについてのモノグラフにあるドロミテに ついての言及、"die künstlich roten Felsen der Dolomiten"の解釈について記したが、 今回調べてみたところ、それとは別の解釈の可能性があることがわかったので、ここに記しておきたい。
その時には通常の苦灰石(CaMg(CO3)2)の色彩や写真等で確認できるドロミテの山々の眺望を基に、 岩が赤いのは、朝日や夕日に照らされてのこと、現地のドロミテ・ラディン語で"Enrosadira"という 現象ではないかという仮説を提示したのだった。現時点でもこの解釈が妥当であるという考え自体は 変化していないのであるが、調べてみると、ドロマイトに酸化鉄が混ざることがあり、その場合には 岩が赤く見えることがあることがわかったのだ。
もっともそれだけなら、ドロマイトという鉱物の性質についての一般的な議論に過ぎず、ここでの 文脈、つまりドロミテの山々の岩の色の話に即、適用されるわけではない。だが実際には、ドロミテには 「赤い壁」(Croda Rossa / Rotwand)と呼ばれる山が存在しており、写真で確認すると確かに赤い岩肌が 確認できることがわかったのである。しかも、私が確認した限りで、「赤い壁」(Croda Rossa / Rotwand)と いう名前の山は少なくとも2つあるのだ。一つはマーラーが山小屋を訪れたとされるTre Cime / Drei Zinnen と 同じ山塊に属するSextener Rotwandであり、 もう一つはマーラーが「大地の歌」の構想を練ったとされるシュルダーバッハ(現在はカルボニン)から 見ることができる、Croda Rossa d'Ampezzoである。実際にストリートビューでカルボニンから 西の方を眺めると、Croda Rossa d'Ampezzoの赤い壁を見ることができるし、Google Mapのカルボニン近郊に アップロードされた写真でも確認することが可能である。従って、決して人工的(künstlich)ではないし、 実際にそのようにも見えない(他の岩石に酸化鉄が混ざって赤く見える場合のように、それはごく自然な 色彩と私には感じられる)のだが、「ドロミテの赤い岩」は、ドロミテ山塊一般のイメージとは 言えなくても、しばしば見られる景観であるとは言えそうなのである。従って、4年前の解釈について 撤回の必要は感じていないものの、「赤い岩」の理由について別の可能性があることは否定できないため、 ここにその事実を公開しておくことにする。
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マーラーが生きた土地の風景を、作曲をした土地の風景を眺めることの意義は何だろうか? しかもそれを、自分が現地に移動して、その場を動き回るのではなく、自宅のPC上で、 仮想の移動性をもった視線によって行うことはどういう意味があるだろうか? 私のように、諸般の事情から現地を訪れる機会が訪れることのなさそうな人間にとって、それは 貴重な代替手段ではあるけれど、それは所詮、不完全な代替に過ぎないには違いない。 将来、マルチモーダルなヴァーチャル・ツアーが可能になる可能性がないとは言えまいが、 少なくとも現時点では、それは、マーラーが見た通りの風景でないのはもちろん、今・ここで 私が見ている風景ではなく、車載のカメラが撮影した過去のある日付の記録に過ぎない。
だが、マーラーの遺した音楽をまるまる捨象して、マーラーその人の直接的な経験のみを 問題するのではなく、その作品を含めた総体としてとらえた場合、1世紀後の異邦の聴き手で ある人間は、マーラーが「作曲してしまったから見る必要がない」という言葉を残していることを 今一度思い起こすべきなのだろう。勿論、マーラーの作曲が行われた場所を知ることは その作品の理解に対して何某かの意義を持つだろうが、作品に定着されたもの、作曲された時点での 具体的・個別的で一回性の文脈を離れて、時空を隔てた人間が、ある日自分の歩く浜辺に見つけた壜の中の手紙に 読み取るものを問題にしたとき、マーラーの作曲が行われた場所を知ることは端的に言って 不要であるというように寧ろ言うべきではなかろうか。勿論、1世紀後のそれであれ、 仮想の移動による視線を通じてであれ、その風景を知ってしまったものは、その経験自体を 無かったことにすることはできないし、その後のマーラーの音楽の受容に影響するだろうが、 その経験がなければ作品が語ることを正しく受け取れないという主張は、端的に誤りだろう。 マーラーがドロミテを通して東洋を幻視したのと鏡像を為すように、マーラーの作品が 1世紀後の日本のある場所のある風景に結び付けられたとしたら、それこそが作品の普遍性と 持つ力の巨大さの為せる業ではなかろうか。
直接的・身体性を伴う経験の持つベクトル性の深みを軽視すべきではなく、実際に現地を 訪れることは、マーラーの作品の実演をコンサートホールで経験するのと同様に、 ストリートビューやCDやストリーミングによる再生による経験とは異なったものである。 だが、その一方で、人間は現実の世界に生きているのと同じように、様々な仮想的な 空間の重なりの中で生きており、そうした世界の重なりが、眺める風景の眺望を 変えてしまっていることにも留意すべきであろう。同じ場所で、同じ時に同じ風景を 眺めても、過去の記憶や観念の空間をひっくるめたその人の視点はユニークなものであり、 共役不可能なのである。逆にマーラーの音楽を知っていてドロミテの風景を眺めるのと、 そうでない場合との違いを思い浮かべれば、マーラーの愛好家にはその質の決定的な 違いは容易に納得できるものであろう。他方で逆向きの作用、つまり技術的環境のもたらす 展望が楽曲の聴取に与える影響も無視してはならないだろう。Google Earthによって、地球と火星が同等の 扱いを受けるようになっている今日であれば、アドルノが同じ著作で地球を 「青い球形の天体」と観じた延長線上で、"die künstlich roten Felsen der Dolomiten"の 「赤い岩」を、やはり同じように酸化鉄によって、今度こそ地球上では人工的な風景と見えるかも 知れない火星の風景のそれと観ることすら可能だろう。同様にマーラーの「東洋」は、 21世紀の現実の東洋とは異なる時空に存在しているが、それを当時の東洋趣味の 風潮に還元するよりも、今日の日本からそれがどのように見えるかを測り、 今・ここでならではのユニークな展望からその可能性を汲み取ることに意を尽くすべき なのではなかろうか。(2014.7.11公開, 12,14補筆修正)
2014年6月16日月曜日
ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ第11回定期演奏会を聴いて
2014年6月15日 ミューザ川崎シンフォニーホール
マーラー 交響曲第10番(デリック・クックによる演奏用補筆版)
井上喜惟(指揮)
ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ
ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの第11回の定期演奏会を聴きにミューザ川崎を訪れる。 曲目は第10交響曲のデリック・クックによる演奏用補筆版。 第10交響曲はクックの補筆によって演奏可能になった5楽章の形態において その価値が闡明されるものであり、未完成であるにも関わらず、 マーラーの作品の中でも最高の力を備えた作品であるというように ずっと考え続けてきたが、初めて聴いてから30年以上の歳月を経て、 初めて接した実演がかくも素晴らしいものであったことを、非常に幸運なことであると感じ、 このような高水準の演奏を達成した音楽監督の井上喜惟さんと楽団の方々にまずは敬意を表したい。
その限りでシェーンベルクがプラハ講演で第10交響曲について述べた言葉、 「われわれがまだ知ってはならないような、われわれがまだそれを受けとめるところまでは 熟していないようななにごとかがわれわれに語られているかにみえる」(酒田健一訳) という言葉は、この作品が知られていない過去の証言であるとして用済みにすることが できない何かを含んでいると私は考えている。
それだけにこの作品について言葉で語るのは非常に難しいのだが、特に今回の演奏を聴いて はっきりと感じ取れたことは、この作品の調的設計を中心としたユニークな全体の構造の 未完成とは思えぬ緊密さ、豊かさと、クックがマーラーの晩年の様式の延長線上で慎重に配置した 色彩の絶えざる変化が、モザイク状に組み上げられ交代する複数の音楽の層の質に 見事に適ったものであるということであった。
第1楽章冒頭のヴィオラが奏する調性感が希薄な旋律をはじめとして、この作品を 無調への入り口として捉える見方が一般的だが、全5楽章からなる交響曲総体の構想から すれば、細部での調性の拡大、非因襲的な楽章間の調的関係にも関わらず、 全体としては調性関係によって多層的・複合的な構造を構築する意図は明確であり、 従来にはない試みが行われているとはいえ、それは紛れもなくマーラーの 交響曲の発展の過程の(未完成であることを重視すれば、ありえたかも知れない) 最先端に位置づけられるものなのである。
この演奏では第2楽章と第3楽章の間にチューニングが行われたが、これは第1楽章と 第2楽章を第1部、第3楽章からを 第2部とする作曲者の構想に沿ったものであるし、実際に第2楽章の末尾において 嬰へ長調に到達することが作品全体の巨視的構造にとって持つ意味を考えれば、 この構造把握の妥当性は明らかであろう。
マーラーが交響曲においてそれまでも 何度か採用した5楽章形式ではあるが、その内部構造は前例のない、非常にユニークなものである。 特に重要なのが第2楽章スケルツォの位置づけであり、ここではスケルツォは「中間楽章」ではなく、 第1楽章に対して同じ調性圏において応答し、そのコーダにおいて第1段目のフィナーレを形成する。 頻繁な転調や調性感の拡大、希薄化にも関わらず、(あるいはそれゆえに)調的な発展はここでは 拒絶されていて、何か現実から断絶した閉鎖された空間の如き領域を形作る。
それに対して第2部冒頭の第3楽章は変ロ短調という調性(これは夙に関連が指摘される 「子供の魔法の角笛」の「この世の生」が到達する調性でもある)によって「プルガトリオ」と いうトポスを、嬰へ調というヴァーチャルで閉じた領域である第1部のいわば裏側に定位して 再開するのである。反復を嫌ったマーラーとしては例外的なDa Capoを持つプルガトリオ楽章の構造は、 この楽章の時間性が(「この世の生」への関連にも関わらず)日常的な生のそれではないことを 告げているかのようである。
いわゆる「死の舞踏」であると一般にはみなされる第4楽章スケルツォでは、その冒頭において ホ短調という調性が選択されていることに留意しよう。轟々と鳴る主部の嵐に対する凪のような (移行部分も含めた)トリオ部分(それはC-A-H-Dと調的に発展していくに従い表情を変えていく)の 指揮者によるテンポの設定が適切であるがゆえに、徐々に音楽が現実の影の領域に 侵入していく経過が的確に示され、その先のコーダにあたるフィナーレへのブリッジ部分への 到達が構造的に準備されているように聴き手には感じられる。
2人のティンパニ奏者が活躍する第4楽章の「影のような」コーダが「完全に消音された大太鼓」 (この演奏では、舞台上ではなく、舞台奥上方の客席に離れて置かれて、あたかもホール全体が 鳴っているかのような効果を上げていた)の一撃で鳴り止み、フィナーレの閾に達したとき、 音楽は二短調の領域にいる。
そしてバスチューバと大太鼓によって進められる 主部に対して、フルートが弦の和音上で息の長い、どんどんと輝きを増していく旋律を奏でるとき、 何たることか、音楽はニ長調の領域にいるのである。(ニ長調がマーラーの音楽において どのような機能をしているかは、幾つかの他の交響曲の楽章を思い起こせば充分だろう。) だがそれは中間のアレグロ部でもフラッシュバックのように挿入される、この楽章の (アドルノのカテゴリにおける)「滞留(Suspension)」のブロックの 調性であり、嬰へ長調の下属調であるロ長調の「幻境」に到達することで、この作品に おける「解決」の方向性が示唆される。
このロ長調の箇所の響きを比喩なしで言い当てるのは私には不可能である。 それは壜の中に閉じ込められた世界のように、何か膜のようなものに隔てられて、 周囲では樹々が嵐に吹かれて枝を撓ませ、その枝を通り抜ける湿気を孕んだ風の音と 風に靡く葉のざわめきとで充たされて、奥行きの感覚が喪われた結果であるのか、 外部から遮断され、閉鎖された空間が生み出され、その中心の場所はひっそりと黙して、 無時間的な空虚を閉じ込めていて、まるで神話的で無時間的な過去の断層に 落ち込んでしまったかのようだ。それはいわば外側(嬰へ調)から見た、 未来から見た「かつて」「現実」であったもののフラッシュバックなのだ。
音楽的主体はその挟間に居て、 いずれにも属さず、いずれとも膜のようなもので隔てられているかのようであり、 記憶の静寂の中にそうした風景が音も無く閉じ込められていて、己自身の存在を その風景の中に予感するのは、まるで自分の生に先立つ遥かな過去の 記憶の中に自分が埋め込まれたかのようで、己がその風景の裡に居るのか外にいるのかすら 最早定かではない。激しい嵐にも関わらず、彼の周囲には静寂が支配していて、 恰も聴覚を介してではなく、戻ってきた陽光の明るみや、暖かみのような 別の感覚を介して音を予感するかのようだ。
その後のアレグロの中間部が第1楽章のカタストロフの再現を経て、冒頭主題の 回帰を惹き起こした後、変ロ長調からの移行を経て、315小節で到達する 嬰ヘ長調の不思議な色合いを帯びた輝きがこれだけ眩く感じられ、 和声の進行による光の変化のニュアンスが、これだけ心を掻き乱すもので あったのも実演ならではで、聴いていて涙を堪えることができなかった。
その涙はまずもって素晴らしい演奏に接したことによる感動によるものなのだが、 同時にそれは、この終結部が第1部の調性である嬰へ調への回帰であること、 つまりここに何か肯定的なものがあるにしても、それは最早通常の 意味合いにおける「現実」で生起するものではないということが 調的な構造と、嬰へ調という調性の持つ固有の音調によって告げられている ことを感じた故なのだろう。 マーラー自身、変ロ長調による終結の代案を考えていたことが 遺された草稿からは伺えるようだが、既に述べたように、 「幻境」の部分がロ長調であることなどから、クックが選択した嬰ヘ長調による 解決に分があるように私には思われる。そしてそれは、井上氏が作品の解説に 記している「12回の打撃音」の「カバラ的」解釈とも整合しているのではなかろうか。
否、このフィナーレの結末における 主体の場所を考えれば、この作品が「この世」では作曲者によって完成される ことなく、その作品の価値を認識した他者によって補筆されなくてはならなかった 事情すら、作品にとって自然な成り行きではなかったかとさえ思えてくる。 再三シェーンベルクのプラハ講演を参照することになるが、確かに第9交響曲は 「限界」であり、第9交響曲では隠れた作曲者のメガフォンであった作曲者は、 第10交響曲では自らが隠れてしまい、補筆を待っていたかのようにさえ 感じられるのである。
第10交響曲には、その創作に纏わる「神話」が永らく付き纏ってきたが、 こうした調的遍歴をそうした「神話」に結び付けて解釈することにさほど意味が あるとは思えない一方で、この日の演奏のような明確な巨視的なブランと 各調的領域の性格やテンポの交替の適切な設定が為された演奏に接すれば、 この作品の持つ調的な設計の力の凄まじさに圧倒されずにいることはできない。 楽曲解説の類に書かれていることを手がかりに音楽を追いかけることと、 楽曲の構造が演奏そのものを通して浮かび上がってくるのを受け止めるのは 全く異なる経験であって、私はこの演奏によってようやく作品の構造を 充分に把握できたように感じられた。
特に第2楽章のスケルツォの解釈の卓越は、録音も含めて、これまでに接したどの 演奏解釈を上回るものであり、初めて隅々まで説得される十全な解釈に接したように感じた。 と同時に、第2楽章の全体構造に占める位置づけについても、ここまで説得的な解釈は これまでに出遭ったことがないほどに決定的なものであったと思う。
譜表の調号指定にも関わらず、不安定ながら嬰へ短調で始まるこの楽章の目まぐるしく変化する 調的な遍歴は、頻繁に交替するその部分部分の音楽の表情と、 固有のテンポによってその構造を明らかにするのだが、この演奏の解釈はそうした 部分部分の固有な音調を巨視的な流れの犠牲にすることなく隈なく提示することによって、 その音楽の経過の複雑さの中に秘められた或る種の必然性の如きものを明らかにしたものであり、 その説得力は圧倒的なものがあった。
オーケストラもまた、明らかに第2楽章に入ってドライブがかかったように感じられた。 特に主部は頻繁に拍子の変わるテンションの高い音楽だが、その響きの充実とリズムの躍動感は素晴らしく、 その後はフィナーレまで緊張感も途切れず、実に手応えのある響きでの演奏が展開され、 それぞれのパッセージの表情の濃やかさもまた、これまで聴いたどの演奏にも優るもので、 息を呑む瞬間にも事欠かなかった。勿論全く瑕がないというわけではないにせよ、 そうした細部の不安定さや瑕が気にならない素晴らしいアンサンブルであった。
特に印象的だったのはこの曲において常に支配的な 弦のパートが良く歌われていることに加えて、頻出する各パートのソロの表情の豊かさである。 印象に残った箇所やパートは枚挙に暇がないが、何よりも全体として、かくも深い感情に 満たされた演奏によって、マーラーの全交響曲の中でも際立って深く人の心を抉る第10交響曲の 全曲を聴くことができたのは稀有の経験であり、それはマーラーを演奏するための集った オーケストラでなくては実現できないに違いないものであり、聴き手にとって圧倒的な経験で あったのは勿論だが、それだけでなく、演奏する方々の心の動きと聴き手の心の動きが 一体となるような感じがして、作品を自らリアライズした指揮者をはじめとする 奏者の方々にとっても必ずや素晴らしい経験であったに違いないと感じられた。
この音楽は、それまでのマーラーの音楽とも異なった、 別の空間、現実の世界に住むものにとってはヴァーチャルと呼ぶ他ない、けれども 紛れもなく、そこもまた或る仕方で人間が生きる空間、進化の偶然と文化的・社会的な 発展の偶然の結果、今あるような意識を備えた人間のみが生きることができる仮想的な 空間を開示している類例のない作品であるように思われるのである。そうしたことを 一瞬であれ実現して見せる音楽芸術の持つ力の凄まじさと、それを構想しえた マーラーの天才に対しては、どんな言葉も無力なものに感じられ、この点でも シェーンベルクの講演内容に同意せざるを得ないのである。
同様に、試みが為された当時は寧ろ批判したり、留保したりすることが 良識ある姿勢とする見方が優越であったかに見えるクックの補筆の作業の 価値も疑問の余地がないものであると思われるし、この演奏はそのことを 最高度の説得力を持って示したと感じられる。
かつての留保は当時のマーラー協会の 校訂の基本姿勢であった最終稿=決定稿主義に象徴される美学を背景とするものであり、 そうした姿勢自体、全く異論を挟む余地のない絶対的なものではないだろう。 管弦楽配置に関しては、何よりも現場の人であったマーラー自身が演奏会場の アコースティクスに応じた臨機応援な対応を是としていたのであるし、 より作品の構造寄りの側面についてのアドルノの、モノグラフの第2版への後書きに 含まれる、決定的にさえ響く留保のコメント、即ち草稿が「垂直的に」断片的であり、 「和声的なポリフォニー、すなわちコラールの枠内での声部の編み細工によって はじめて、楽曲の具体的な形、作曲されたものが示されたことだろう」 (龍村訳)という発言すら、彼がその論の根拠とするマーラーの後期様式の 遺されたものではなく、向かっていった方向を考えたとき、クックの試みを 否定しきることができるような絶対的なものではないと思われる。
アドルノは 「マーラー自身に由来するものを厳密に尊重するならば、一つの不完全なもの、 彼の意図に反するものを提示することになるし、といって対位法的に補完する ならば、その仕事はまさにマーラー自身の創造性の発揮されるべきその場所へと 踏み込んでしまう」(龍村訳)という二者択一を示して両方を拒絶し、もって補筆を 否定するのだが、カーペンターのような、明らかに「マーラー自身の創造性の 発揮されるべきその場所へと踏み込んでしま」った挙句、自分の補筆の方を 絶対視するような姿勢とは全く異なって、クックの作業はどちらかといえば 不完全なものであることを自ら認めた上で、実現される音響像のもしかしたら 少し先に、ありえたかも知れない作品像を浮かび上がらせるための試みであり、 しかもマーラー自身の創作プロセスとて、それがどこで停止し、どこで 再開され、時には改作にまで到るかはその都度その都度の偶然に支配されることも あっただろうことを思えば、「少し先」の距離は、アドルノが考えている 程大きなものではないのかも知れないということは無いのかとさえ思えるのである。
何よりも「第10交響曲の構想の並外れた射程距離を感じ取る人間こそは、 そこに手を入れたり演奏することを回避すべき」であり、「まだ実行に 移されていないイメージに対する巨匠のスケッチを理解してあたかも完成 したかのように色づけする人は、それを壁に架けるのではなく、ファイルに 入れて自分一人で眺めている方がいい」という発言は、少なくともマーラーの 音楽が、人間の手によって演奏会場で演奏され、物理的な音響として 実現されることを不可欠のものとしているという点を決定的に見誤っている のではなかろうか。
今日のマーラーの音楽のポピュラリティは放送や録音媒体による 普及による部分が大きいだろうが、聴く力を麻痺させかねないバブル期に見られた ツィクルスによる実演の氾濫も含めた受容の歴史を経た現時点での展望からすれば、 寧ろ、必要なら「音断ち」をさえした上で、充分な準備と解釈の徹底が施された 実現がなされるのを新鮮な耳で聴取する経験こそが、その音楽の持っている力を 十全に解き放つための必須の契機であるということになるように私には思われる。 そしてまた、そうした契機なくして、過去の異郷の音楽を 今ここで演奏する意義はないし、そうした意義のある試みこそがマーラーの 音楽を世代を超えて継承していくものであるに違いない。
クックの試みもまた、 完成した暁にはコンサートホールで オーケストラによって演奏されることになっていたことが明らかなこの作品、 しかしながら、まさにそのために書かれたにも関わらず、演奏はおろか、 作曲の途上で、楽譜の上においてさえ、 そうした形態を採る前に作者たるマーラーの手を離れてしまったこの作品を、 アドルノのような専門家の占有物にしてファイルもろとも忘却に委ねてしまう ことなく継承していくことを可能にする試みである。
カーツワイルのような技術特異点論者の唱える技術的特異点の向こう側から見たとき、 生物学的な基盤の持つ限界からの自由を獲得し、 時間的にも空間的にも、現在の人間の持っている制限から自由になったとき、 人間のアイデンティティの定義も当然だが、作品のアイデンティティの側も また変容してしまった後で、この作品を取り巻く様々な状況の意味はどのように変わり、 どのような形態で、どのような媒体での受容が行われることになるのだろうか。 最早人間の可聴域の制限すら超え、媒体の制約も超えて、クックの作業の更なる延長線上に、 寧ろその未完成が故のポテンシャリティによって、現在では思いもつかないような 受容のされ方がなされるかも知れない。 例えばスタニスワフ・レムの「虚数」の中に収められた「ビット文学の歴史」に出てくる、 コンピュータによるカフカの「城」の補作完成の試み(これは失敗することになっているが)や、 ドストエフスキーの長編小説のミッシング・リンクの「仮構」といった試みの、 「人力による」(!)先蹤として評価される時代がいずれ到来するのではなかろうか。
マーラーの第10交響曲が提示するものは、21世紀になっても未だ解決済みでもないし、 過去の遺産などでは決してなく、未だそれに接する人間の成熟を待ち続けているように さえ感じられる。そういう意味で、この演奏会における演奏は、なぜ今ここでこの音楽を 演奏するのかについての有無を言わせぬ必然性を感じさせるものであったように感じられた。 改めて音楽監督の井上喜惟氏とオーケストラのメンバーに対して感謝の気持ちを記して 感想を終えたい。 (2014.6.16初稿公開, 17,18加筆修正)
2014年2月16日日曜日
マーラーの音楽の時間性についてのメモ
音楽は時間の組織化、構造化である。それは生物的な、感覚受容や身体的事象へ反応といった体験の時間とは異質の、非日常的に、人工的に編まれた時間の結晶体である。音楽的時間の経験は、様々な時間経験の一種に過ぎないが、それは高度な意識を持つ生物種である人間ならではの社会的・文化的な歴史の沈殿物の摂取であり、或る種の意識経験の様態を自分の中に(変形しつつ)移植することである。 叙事的、ロマン的(アドルノ)と形容される時間の流れを、その複雑さを毀損することなく捉えようとしたとき、充分に意識的で、 批判的・反省的な知性の持ち主であったマーラー自身による説明におけるゲーテの原植物を含む有機体論や進化論的メタファー(エンテケレイアなど)の進入については、その事実を骨董に関する薀蓄よろしく、歴史的な事象として指摘することなどではなく、さりとてそれを単なる比喩や修辞として、音楽自体とは別のものとして無視するのでもなく、システム理論や複雑系の理論の発展を通過した今の地点から捉え直すことこそが必要であろう。
調性組織における発展的調性は、楽式論における単なる反復、ダ・カーポを嫌い、絶えず変容し発展しようとする傾向との間に 明白な相関を有するのであって、出発点に過ぎない和声法や楽式論の図式を逸脱してしまう。その結果として、多楽章形式はここでは 複数の視点、複数の層からなる時間の布置を実現するデヴァイスであり、多重世界論(デイヴィッド・ルイスの様相実在論)の如き理論装置を要請する。 マーラー自身が敏感に感じ取り、指揮者への指示として書き込んだように、楽章の始まりと終わりは一様ではないし、楽章間の関係も、 画一的な単なる中断、中休みには決してならず、ある時にはそこに断層があり、ある時には休止を跨いで連続するといった具合に、 その連関の様相は多彩である。 オーケストラならではの、非平均律的な均質でない和声組織に支えられた調性格論は、直接的には共感覚的に色彩を喚起するものであると同時に、心理的時間としては、モーダルなヴァーチャリティの様々な質・諧調を実現しており、その肌理の細かさに対応した理論装置を要求する。
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マーラーの音楽は、職人技による工芸品的な単純なパターンの反復、規則的な変形による線形変化のもつ、物理的とでもいうべき 時間ではない。他方で、外的なプロットに束縛されることのない、独立したモナド的な主体性を備えている。 それが近藤譲の言う「身振り」の音楽であるというのは、命題的態度の音楽であるということであり、それは高度な心性を持つ 意識的主体においてのみ可能となる構造を前提として初めて生じうる時間性を備えているということであり、その時間性は 現象学的・実存的な時間論が分析の対象とするようなものである。
そしてそれは閉じているわけではなく、世界、他者との接触により生じる間主観的な出来事としての実存的時間を備えている。 その空間性は、相対論的に出会うことなく、常に遅れてしか出会い、応答できない同時的存在としての他者との距離であり、 主体の内的時間と同調しない、容赦ない推移の流れ(「世の成り行き」)に身を浸すという意味で、高度な心性を有する 意識的な主体の間主観的な生成過程の組織化である。
その限りにおいては、異星人が地球上の人間について知りたければ、 マーラーの音楽を調べれば良いという、カールハインツ・シュトックハウゼンの言葉は妥当性を持つ。これは(とりわけても 西欧的な意味合いでの)「人間」でなければ産み出しえない類の音楽であることは間違いない。更に、ジュリアン・ジェインズ的な 意識の考古学的な展望を、レイ・カーツワイルのような技術特異点論者のポスト・ヒューマン的な展望と接続する立場からは、 これは将来のある時点で、「かつての人間」の意識の様態を記録した考古学的遺物になるのだろう。マーラーの音楽が音楽で 在り続けるのは、「人間」がかつての、そして大きな変容を蒙りつつ、今なお辛うじて存続している「人間」の存続期間の 範囲内であり、賞味期限つきなのである。ジェインズの記述するホメロスの時代、あるいは西洋中世といった意識なきエポック ではマーラーの音楽はありえなかったし、タイムマシーンで遡及して送り届けたところで理解不可能なものであったに違いないが、 未来の方向に向けても、三輪眞弘さんが「感情礼賛」で「夢を見た」ようにポスト・ヒューマンのエポックにおいてはマーラーの音楽は理解不可能なものとなるであろう。(再帰的に、音楽を聴取する、しかも自己自身のような複雑な音楽を聴取する経験自体もまた、そうした時間性を備えている。このことから、マーラーの音楽自体が聴き手にとって優れた意味での他者である、つまり複雑な内部構造を有し、固有の時間性を持つ他者であり、レヴィナス的な意味で、決して自己固有化できない「他者」であるということが帰結する。それは私の中に埋め込まれても、或る種の飛び地、クリプトとして 存在し続けるだろう。)
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マーラーの音楽の時間はアドルノ風の、「突破」「停滞」「充足」「崩壊」といったカテゴリが示唆する心理的時間であり、 意識の構造に由来するアスペクト的な特性を持つ。楽章内においても時間の断絶、複数の層の不連続な継起があり、 ホワイトヘッドのプロセス哲学における時間論における「時の逆流」を彷彿とさせるような瞬間にも事欠かない。 それは単一の時間ではなく、複数の重層的な時間。時間の分岐と合流であり、ヒンティッカが試みたような可能世界意味論による解釈の下で、 フッサール現象学における内的時間意識の不連続性を取り扱う必要性を認識させる。
第一次過去把持・第二次過去把持の区別は勿論、忘却・想起・回想といった出来事を、多重世界の圏域体系上で解釈しようとしたとき、 しばしばその人工性や模倣的で根無し草の性格が取りざたされるマーラーにおける「民謡」調や、とりわけ「大地の歌」での 東洋趣味もまた、スティグレール的な第三次過去把持による前主体的過去、社会的、集合的記憶への仮構された遡及としての (ありえたかもしれない、架空の)「民謡」。「東洋」(「大地の歌」)として、同じ多重世界の圏域体系上で解釈可能な ものになるのではないか。
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そしてその先には、第10交響曲がある筈であった。嬰ヘ調という調性の持つヴァーチャリティと、その文脈における ニ長調がコントラストによって蒙る変容。過去が絶対的な過去になり、現在は通常の時系列的なパースペクティブから 隔離されて浮遊する。(臨死経験との類比からすれば、それは可能性としての「未来」を最早持たないことの 帰結なのだろうか?)だがそこにおいてこそ、(数学的な意味での)極限としての未来の到来・生成の場があり、 それは主体の側からは自己超越による死と再生の過程である。第10交響曲はそうした時間を作品の裡に 刻み込んでいるという点で、極めて特異な作品である。
この作品が未完成であることについては多くのことが 言われているが、この音楽が、芸術に許されたヴァーチャリティを限界まで徹底させ、「実現しない未来」の 時間を定着しつつあったことを思えば、ありとあらゆる迷信の類を取り除いた後に、その実質と、作品が「この」 現実世界、様相実在論的な可能世界意味論における用語法におけるそこでは、それがスーパーヴィニエンスである ことを確認した上で、未完成に終わったことに対して、「人間」は何某かの意味を読み込みたい欲求に抗うことは 難しい。それを「あまりに人間的」と断定する批判は正しいが、「音楽」が結局は「人間」のものでしかないことに 対する無視は致命的である。
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第8交響曲の冒頭のEsのペダル音は、人間の消滅の時に響く「基底の音」であるかも知れない。(実際、三輪眞弘さんの 「ひとのきえさり」ではEintonという「楽器」がそのように響く。)第8交響曲はアドルノ風には「突破」の瞬間の 拡大であろうが、その音楽は経過につれて、人間がそのままの姿では見ることのできない出来事と化してゆく。 勿論、(プフィッツナーが悪意を篭めて揶揄したといわれるように、またアドルノが両義的な態度の中で、不承不承か、 あるいは寧ろ、己の恃む否定性の威を借ってか認めたように、それは「到来しなかった」かも知れないのだ。 それは1世紀後の極東で、深夜、自室で「録楽」としてそれを聴いた聴き手のちっぽけな脳内で起きた事象に過ぎず、 何も変わっていはしない。これまたアドルノの言うように、ファウストの終景から聖書的近東を経由して 辿り着いた「大地の歌」の極東は紛い物に過ぎないかも知れない。だが、どんな形而上学も可能ではないということが最後の形而上学たりうる ように、あるいはまた、架空の極東の民族の(だから決して「到来したことのない」)滅亡を記憶する機械による朗読が、 あたかも最後の「音楽」のように、あるいは「音楽」の終焉のドキュメントとして、それ自体は現実に生起し、 その事実が語り継がれていくように、第10交響曲の、決して到来することのない、決して経験することのできない 時空は、マーラー自身によって完成されることはなかったけれども、デリック・クックによって演奏可能な形にされ、 1世紀を経てなお、極東の地で再演が試みられる限りにおいて、まさに「音楽」として、「音楽」を介して、 現実的に生起するのである。
かつての「音楽」、かつてそう呼ばれ、今なお、人がそれをそう呼ぶことに何の疑問を抱かない音楽作品と その演奏を振り返ってみたとき、逆に、或る過去の時代の、自分とは異なった歴史的・文化的伝統に属する人間が作曲し、 記譜して残した作品を、別の誰かが演奏するとき、あるいはまた、不幸にして未完成に終わった作曲を、 別の誰かが補うとき、更には同時代にいながら、それゆえに常に遅れてしか応答できないにせよ、自分のできる仕方 (それ自体は「音楽」ではないかも知れない)での応答を試みるとき、そうした人間の営みによって、 音楽が、第一義的にはまず自分自身という人間のためのものでありながら、そうした自分という或る種の制限、 檻の如きものが制限づけているに違いない視界の狭窄、感性の水路の狭窄にも関わらず、 その音楽(だがそれは、正確には「どれ」のことを、「どの範囲」の出来事を指しているのだろうか?)が 人間の限界を超越して、想像することの出来ないような彼方へと(そう、まるで宇宙船にカプセル化されて 未知の知的生命体に向けて送り出されたものであるかのように)、突き抜けていってしまい、 私のようなちっぽけな人間には及びもつかないような存在に感じられることが、しばしば生じる。 その限りで、いかに突飛で滑稽に見えようとも、アドルノが「大地の歌」に関連して、宇宙飛行士が外側から 見ることになる地球の青さを先取りしていると述べたのは、それがジャン=ピエール・デュピュイの賢明な破局論 での意味合いにおける「予言」である限りにおいて、文字通り正しいのである。だとしたら、レイ・カーツワイルの 述べる技術的特異点の彼方で生起することの「予言」が、第10交響曲において、それ自体未完了で開かれたままの 状態で行われていると考えることもまた可能であろう。
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勿論、技術的特異点の彼方において、この「音楽」が、否、おしなべて「音楽」自体が最早意味を喪失し、 無用のものとなる可能性もある。そうではなくても、かつての「人間」の制約条件に強く拘束されているがゆえに、 過去の遺物として、博物館での展示品としての価値しかなくなる可能性もあるだろう。その一方で、第10交響曲の 「今」と「ここ」がようやく適切な現実を獲得する事態も考えられるだろう。マーラーより更に100年前にヘルダーリンが、 早すぎる晩年の寂静の裡に記した断片 "Wenn aus der Ferne" の「今」「ここ」と同様、現在の現実世界では ヴァーチャルな、「場所なき場所」を指し示すそうした作品が、丁度ホメロスの叙事詩のように、今より更に100年後、 新たな光の裡で、新たな光を放たないと誰が言いうるだろうか?
全ては両義的である。まさにそのために書かれたにも関わらず、完成した暁にはコンサートホールでオーケストラによって 演奏されることになっていたことが明らかなこの作品は、しかしながら、演奏はおろか、作曲の途上で、楽譜の上においてさえ、 そうした形態を採る前に作者たるマーラーの手を離れた。だが、技術的特異点の向こう側から 見たとき、生物学的な基盤の持つ限界からの自由を獲得し、時間的にも空間的にも、現在の人間の持っている 制限から自由になったとき、人間のアイデンティティの定義も当然だが、作品のアイデンティティの側もまた 変容してしまった後で、この作品を取り巻く様々な状況の意味はどのように変わり、どのような形態で、 どのような媒体での受容が行われることになるのだろうか。最早人間の可聴域の制限すら超え、媒体の制約も超えて、 クックの作業の更なる延長線上に、寧ろその未完成が故のポテンシャリティによって、現在では思いもつかないような 受容のされ方がなされるかも知れない。
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人間的なものの極限に、人間を超えたものが顕現するかに思われる瞬間がある。通常の自己の記憶の回想ではない、 自己の経験していない過去を展望できるかに思われる瞬間があり、それに応じて、実現可能性のある現在の延長としての 未来ではない未来、人間の意識がその形態のままでは経験不可能に思われるような未来、極限としてしか想像できない未来が 顕現するかに思われる瞬間がある。音楽は実際には起きはしないことをあたかもそれが今ここで成就したかの如く偽る 詐術などではない。それは現実とは異なる実在の多重世界の別の一つにおける別の現実の投影なのだ。
これは現在の瞬間が拡大されて、永遠と化する奇跡ではない。そこで起きるのはまた、充実ではなく、「ノエマの 爆発」の如き出来事であり、寧ろ自己は没落し、滅して、純粋な受動性の領域が現れ、外から何かが到来する瞬間、 外に対して自己を被曝する瞬間であると同時に、主体の自己超越の瞬間なのだ。そうした瞬間は孤立した出来事ではなく、 それが生じるための力学が働く多層的な脈絡と多岐的な広がりとが必要となる。 マーラーの音楽は、そうした瞬間をその中に胚胎しているという点で特異な音楽であろう。そうした瞬間を孕む 時間的な構造はそれ自体、人間の歴史の蓄積の結果であり、マーラーの音楽はそうした文脈の下で起きた一回性の事象であった。 勿論、もう一度歴史が反復されれば、それが生じる可能性はあるが、それが生じるのは必然ではなく、系の持つゆらぎの 産物に過ぎず、異なった径路を辿ることになると考えるべきだ。
その音楽にあっては「ここ」こそが主体にとって未だ訪れることがなかった異邦の地であり、「自己」が滅したときにしか 出現しないという意味で、最も主体から遠い場所なのだ。これほど「人間」から遠ざかった音楽は、だが「人間」にとって遠いのであって、それは「人間」的主体の構造に基づいていて、それゆえ優れて「人間」のためのものなのだ。 シェーンベルクの第10交響曲への評言は、しばしば歴史的には誤解に基づいた、仰々しいほどまでに大袈裟なものと されることがあるが、実際には個別の出来事の事実関係の差異を超えて、その音楽の質を正しく言い当てている。 我々は、それを聞くための準備がまだ出来ておらず、その音楽に値しない。その故にその音楽は我々にとって未完成のまま留まる。それは常に未来に向かって開かれたまま、聴き手の個体の限界をさえ超えて存続し続ける。(2014.2.16初稿,2.21加筆)