2008年9月28日日曜日

作品覚書(3)第3交響曲

交響曲のフィナーレにまつわる問題、即ち、どのように交響曲を終わらせるかという問題は、交響曲が成立した時点では 恐らく想像だにしなかった問題に違いない。例えばハイドンやモーツァルトの交響曲のフィナーレが問題視されることはなく、 いつの間にか「結論」としての重みがフィナーレに求められるようになって以降、それは単なる舞い納めでは済まなくなって しまったようなのだ。

マーラーが「フィナーレ問題」に腐心したのは確かなことだが、それに対する自覚的で明確な回答を与えることが できたのは、第3交響曲をアダージョで終わらせることにした時であろう。勿論、ただちに、それに先立ち完成した 第2交響曲の、先行するどの楽章よりも長大なフィナーレはどうなのか、という問いが浮かぶだろう。 だが、第2交響曲の成立史そのものが、最初に成立した第1楽章の後をどのように続けて、どのように終わらせるかの 暗中模索の歴史そのものであったこと、ハンス・フォン・ビューローの葬儀に霊感を受けて、といえば聞こえはいいが、 要するに、思いつき、ひらめきの類で全曲の構想が後から定まったこと、更に致命的なことには、そのフィナーレが構造的には些か行儀が悪いことを考えた時、あまたのプラン変更はあったとはいえ、第3交響曲においてようやく フィナーレの問題を決着させることができたと考えるのが妥当だろう。残りの5楽章すべてを第2部として、それと ようやく釣り合う破格の規模を持ち、単独で第1部を構成する巨大な第1楽章を持ちながら、第3交響曲の フィナーレであるアダージョは、マーラーの交響曲の中でも最も大規模な構想を持ったこの交響曲の締めくくりに 相応しい。アドルノの用語を借りて言えば、心理的に「充足」に相当するものをフィナーレに持ってくるというのが、 解答の一つの方向性であり、第3交響曲はまさにその典型例と考えられる。第6交響曲のフィナーレは もう一つ別の方向性での回答であり、更に第3のタイプとして、「大地の歌」以降、第9交響曲、第10交響曲の それ(とはいえ、実質は三者三様であり、単純な類型化には危険が伴うが)と、マーラーはその後もフィナーレの 問題に対して、ユニークな答えを生み出していくことになる。

その一方で、この第3交響曲はマーラーがさんざん弄り回した挙句、まるで登ったら不要になった梯子のように 最後には放棄してしまった標題を手がかりに、いわゆる「世界観音楽」の代表のような扱いを受けることが多い。 そこに見られる或る種の進化論、物質的なものから精神的、神的なものへと階層をなす世界観は、同時代の 人びとはおろか、100年後の今日の日本においてさえ、或る種の人を大いに魅惑するようで、ここにマーラーの 交響曲を理解する鍵があるといわんばかりの解説が為されたりもする。挙句の果ては、何を手がかりにしたものか 「円環的構造」の存在が主張され、それをニーチェの永劫回帰と結びつけるなど、見ようによってはやりたい放題で、 マーラーが最終的に標題を捨てたのも無理はないと、反って納得してしまうほどである。マーラーの音楽には、 音楽外的な参照が豊富にあるがゆえに、音楽の内容や実質そっちのけの議論が行われる危険は大きいが、 この第3交響曲は、さながらそうした傾向の最大の被害者と言えるだろう。

もちろん、マーラーが音楽によって「世界を構築」しようとしたこと、音楽を媒体にして何かを定着させようとしたこと、 何物かに命じられて書きとらされるかのような姿勢をもっていたことは確かであろう。だが、ベクトルの向きには注意すべきで、 くだんの稚拙な標題にしてからが、「~が私に語ること」であって、作曲する私は聴き手の立場になっているのだ。 シェーンベルクがプラハ講演で第9交響曲について述べた、作曲の主体は「メガフォン」に過ぎないという発言もまた、 比喩以上のものに違いなく、更に、第9交響曲のみがそうであるわけではない。マーラーの音楽には主観的契機とともに 客観的な契機もまたはっきりと存在し、結果としてその音楽を単純に主観的な独白と見做すのは、それを世界観なり 思想なりの「表明」と見做すのと同様、実質を損なう捉え方に思えてならない。要するにどちらも作曲する主体の モデルについてロマン主義的な単純化した見方をしている点では共犯関係にあると言って良いのだ。そしてそれは 裏返せば、作品と人との関係についてもまた、ひどく単純化したモデルを前提に議論しているということでもある。 マーラーは際立って意識的な人間だったようだから、そうした点についても至って自覚的だったようだし、作品が常に 自分をはみ出していくことについても充分に意識的であったようだ。常には大言壮語の類として呆れ顔で片付けられる、 ブルノ・ヴァルターに対して語ったとされる「もう作曲してしまったから、風景を見るには及ばない」という言葉さえ、 晩年にナイアガラの瀑布を見てベートーヴェンの交響曲と比較して言ったとされる言葉とともに、芸術至上主義の、 自然に対する芸術の優位を主張する傲慢さを見るよりも、音楽作品のあり方の不思議さを示唆するものと 考えるべきではないか。作曲はマーラーにとって「神の衣を織ること」であったらしい。だとしたら音楽作品は、 神の衣、それ自体が世界の一部なのだ。「世界を構築する」ことは、そうした文脈の中におかれて理解されるべきなのだ。

*   *   *

形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの)
第1楽章(ソナタ形式) 序奏『起床の合図』「力強く、決然と」110d
第4楽章予示「速度を緩めて」(ミステリオーソ)1123
行進曲リズム2326
葬送行進曲「重く、うつろに」2756
『起床の合図』後節「動きをもって」57128
(第4楽章予示「ひきずることなく」)(83)(98)
行進曲リズム128131
『牧神は眠る』「同じテンポで」132147B-Des-D
『先ぶれ』(遠方からの音)148163-Des
葬送行進曲+『起床の合図』後節「遅く、重く」164224d
(『牧神は眠る』)「テンポI」225236B-Des
(『先ぶれ』)(遠方からの音)「次第に動きをもって」237246-C
行進曲「遠方からのように」247272F/a
呈示部「夏が行進してくる(バッカスの行進)」273350F-D
小結尾(第6楽章予示)351368
展開部『起床の合図』後節369449d-es
(第4楽章予示)(398)(405)
(『牧神は眠る』)450462-B-D
行進曲予示I「遠方からの音」463491F
同上II(小結尾旋律)492529Ges
『行進曲』「同じテンポで(行進曲)急がず」530642
『無頼の徒』539582b-es
『戦闘開始』583604C
『南方の嵐』605631Des
経過句(行進曲リズム)631642
再現部序奏主題再現「最初と同様に」643654d
第4楽章予示「速度を緩めて」(ミステリオーソ)655666
行進曲リズム667670
葬送行進曲+『起床の合図』後節「遅く、重く(しかしさりげなく)速度を緩めて」671736
「テンポI」(再びすべて遠方から近づきつつ)行進曲(呈示部再現)737845B-F
小結尾(第6楽章予示)846862
ファンファーレ863875
第2楽章(メヌエット) 主部IA「メヌエットのテンポで、とても中庸に急がず!」119A
B2033
A'3449
トリオI3/8「同じテンポで」5069fis
4/27078
9/87990e
主部IIA「ア・テンポ(最初と同様に)」90108A
B109125
A'126143
トリオII3/8「同じテンポで」114157fis
4/2158191gis
9/8192209D
経過句210216As
主部IIIA「即座にゆったりと(最初と同様に)メヌエットのテンポで」217232E
B233242
A'243259A
コーダ260279
第3楽章(エピソード付の二重変奏) A歌曲前半「コモド、スケルツァンド、慌てずに」133c
歌曲後半3467C
B「同じテンポで」68120
A変奏1歌曲前半変奏拡大「再びとてもゆったりと、最初と同様に」121175c
歌曲後半変奏176210C
B変奏1211228
経過句(Aによる)「少し、しかしはっきりと遅くして」229255f
C(ポストホルン・エピソード)『郵便馬車の御者』「とてもゆったりと」256346F
(Aの挿入「テンポI」)(310)(321)(f)
A変奏2「テンポI、秘密めいて慌しく」347373-c
「陽気に」374431F-c
B変奏2「粗野に!」432465C
経過句466484
A変奏3「再びいきいきと最初より速く」529556-es-des
コーダ「即座にテンポI(急がずに)」557590C/c
第4楽章 前奏(「おお人間よ」)「とても遅く、ミステリオーソ.ppp」117D/d
詩節前半(「こころせよ」)「とても遅く」1857
オーケストラ間奏「とても幅広く、ゆっくりと」5881
(「おお人間よ」)「テンポI」8293
詩節後半(「世界の痛みは深い」)「最初と同様に」94131
オーケストラ後奏132147
第5楽章 詩節第1節「快活なテンポで、表情ははずんで」121F
第2節2234
第3節「テンポを緩めて(さりげなく)」3564d
(「天上の生活」予示)(43)(46)
(「天上の生活」予示)(56)(60)
鐘とオーケストラ間奏「オーケストラ全体はずっとゆっくりとしだいに強く」6577
第4節7893
第5節94107
後奏107120
第6楽章(二重変奏) 第1部分主部「遅く、落ち着いて、感じて」140D
経過部「もはやそれほど幅広くなく」4150fis
副次部「もう少し動きをもって」(テンポの上昇はすべてさりげなく)5162cis
主部+第1楽章動機「急がずに」6391-F-g-d
第2部分主部変奏1「テンポI、落ち着いて!」92107D
主部変奏2「とても歌って」108123
経過部「もはやそれほど幅広くなく」124131d
主部・副次部変奏1132148cis-F/f
経過部「(ひきずることなく)」149156es
主部・副次部変奏2「とても情熱的に」157167
主部変奏3「前より少し幅広く」168197H-Es-D
(第1楽章・第4楽章回帰)(180)(185)
第3部分主部変奏4「テンポI」198219D
第1楽章動機220244-g/G
第4部分主部変奏5「遅く」~「とても遅く」245299F-D
コーダ300328

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形式の概略:第1,6楽章のみ(de La Grange フランス語版伝記第1巻Appendice No.1)
1. Kräftig. Entschiden 力強く、決然と序奏126 主題I(自然の不活発さ)。その長調‐短調のカデンツは非常に特徴的であり、第4楽章で再び現われる。(自筆譜の行進曲主題の冒頭には「目覚め」と書かれている。)d/D
提示27131主題(あるいはグループA):「重く、うつろに」、この楽章で後にそれぞれ別々に用いられ、ついで他の 楽章でも再現される幾つかの短いモチーフと最初はトロンボーンに、ついでトランペットで再現する長いチェロのレシタティーヴォを含むd
132163A'と組み合わされたA(バッソ・オスティナートとして用いられる)d/D-Des
164224「ゆっくりと、重く」 Aの変形された再提示(トロンボーンのレシタティーヴォ)d
225253Tempo primo 移行の2番目のパッセージ(最初と同じモチーフ)D-Des-C
254368第2グループ(B):付点リズムによる勝ち誇った行進曲(「夏」。B, B' 主題I(不活発さ)、長調での勝ち誇ったバージョンはその後終結主題に 変化する(練習番号28)F-D-d-c-es-e-...
第2提示369454Iの最後のモチーフにより導入されるグループA(レシタティーヴォは ホルン、トランペット、トロンボーン、最後はイングリッシュホルンによって繰り返される)d/D-E-F-es
455491移行(以前と同じモチーフ)、D-H-F-g-Des
492529短縮され、変形されたグループBGes
展開あるいは第2セクション530642「まだ同じテンポで(行進曲)」自筆譜の539小節にマーラーは「無頼の徒」 と、また583小節に「戦闘開始」と記した。605小節には「南方の嵐」と書かれている。グループB由来の様々な主題やモチーフb-es-C-Des
再提示643670「最初と同様に」:カデンツつきの導入d
671736「重々しく」:グループAとトロンボーンのレシタティーヴォd
737862Tempo primo :Bの再提示、行進曲のエピソードF
863875「切迫して」:13小節のストレットによるコーダF

6. Langsam Ruhevoll. Empfunden ゆっくりと、安らぎに満ちて、感動して提示140 主題A(最初に同じ上行する4度で始まる3つの異なるフレーズよりなる)D
4150「もはやそれほど幅広くなく」主題B(分割された弦)fis
5191「もう少し動きをもって」バスでの主題B'(常に少しずつテンポが速まる)、BやAの断片だけでなく、第4楽章で既に現われた第1楽章の トロンボーンのレシタティーヴォの引用とともにcis-F-g-d
92107「安らぎに満ちて」変奏された主題AD-fis-D
108123「とても歌って」主題A(上声の新たな対旋律とともに)D
124131「もはやそれほど幅広くなく」h-d
132148A Tempo 主題B'(Aの断片とともに)cis-F/f
149167主題B(新たな対旋律とともに)aes-es-Des
168197「前より少し幅広く」Aの新たなヴァリアント(第1楽章の最初の行進曲から借用され、第4楽章の ニーチェの歌曲でも引用されたG-A-Bのモチーフとともに)E-Es-D
198251Tempo primo 変奏された主題A、短調での「苦悩の」トゥッティでの第1楽章のレシタティーヴォを喚起する断片に至るD
再提示252295「とてもゆっくりと」:主題Aのトランペットによる忠実な再提示 (トロンボーンでのバスの対旋律とともに)が徐々に壮大な最後のトゥッティに至るD
296328コーダ:主題Aが徐々にその主要モチーフに還元されていく(最後の13小節は、マーラーがそれらを変形するものの、属音と主音を低弦とティンパニが 絶えず打ち続ける中でオーケストラによって奏される長大な主和音でしかない。)
(2008.9.28, 2009.8.13/14 この項続く)

2008年9月27日土曜日

「意識の音楽」素描

私は、マーラーの音楽を「意識の音楽」というように呼びたいとずっと思ってきた。それは、私がマーラーの音楽を聴くときの 基本的スタンスを示す言葉であり、なぜ、他ならぬマーラーの音楽を聴き続けているのかの理由を明らかにするものであり、 つまるところ、マーラーの音楽の独自性と私が考えるものを端的に示す言葉なのだ。

上記の言明を見た人の中には、「意識の音楽」が、聴取の態度に関わる定義なのか、聴取される作品の様態に 関わる定義なのかが不明瞭であることに気づかれる方も少なくなかろう。これは正当な指摘だと思うが、この点については、 差し当たり以下のように答えたい。

私は作曲家でも、演奏家でも、音楽学者、音楽史家など音楽を対象とする研究者でもない。音楽を享受する消費者に 過ぎない。私にとってマーラーの音楽は聴取の対象であり、その都度聴き取られる音楽が私にとって示す様相が少なくとも 第一義的なものだということは否定し難い。ただしここで聴取というのは、録音媒体の再生やコンサートでの実演で 実現される音響のみを対象としているわけではなく、楽譜を読むことや自分で(頭の中で、手近に楽器で)その一部を 再現することなども含まれる。最後のものは聴取ではなく、演奏ではないのかという見方もあるだろうが、私の場合には それは単なる聴取の補助手段に過ぎず、消費の一形態に過ぎない。こうした状況において、聴取の態度と聴取される 作品の様態というのは分離し難い。「私にはマーラーの音楽はしかじかのものとして聴こえます」という言い方を背後に 常に纏わせること無く、マーラーの音楽について「客観的に」語れるとは思わないのである。そうは言っても例えば情緒的な 感想と楽曲分析との間の差を取るに足らないと考えているわけではないが、一見より客観的な装いの後者さえ、 結局、私の分析、私の解釈の結果に過ぎないという点では、聴取の態度の表現形態の一つに過ぎないと考える。

それでもなお、「意識の音楽」の指し示すものについての曖昧さが問題になることはあるだろう。そもそも「意識の音楽」の 「意識」とは「誰の」意識なのか。作曲者のだろうか、演奏者のだろうか、聴き手のだろうか、聴き手の中でも、この私に 限定されるべきなのだろうか。そもそも「誰かの」意識なのか。あるいはまた「意識」とはそもそも何か、という議論もあるだろう。 勿論、「意識の音楽」とは何か、を説明するためには、そうした点について説明をしなくてはなるまい。

では「意識の音楽」とはどのようなものか。実は私は、マーラーの音楽「だけ」が「意識の音楽」である、と考えているわけではない。 マーラーの音楽とほぼ同じような姿勢で聴くことのできる音楽は、他にも存在する。ただし原理的にいってどの範囲の、どのような 音楽が「意識の音楽」として聴くことができるのか、という問いはここでの私の関心の埒外である。最初に言ったように、 それはマーラーの音楽の聴取の態度や聴取される作品の様態を言い当てるために用意されたものであって、それ以上の ものではないからだ。世の中にある様々な音楽のうち、どの範囲のものについてそれが適用可能かどうかの境界を決めることも ある程度は可能かも知れないし、勿論、自分なりにはそうした境界があるように思うが、それで興味深い何かがわかるとは思えない。 そもそも聴取の態度に汚染されているわけだから、音楽の側の分類に使うのには無理があるだろう。

一方、「意識の音楽」は、作曲者の作曲意図、意識的な姿勢や音楽観とは少なくとも直接には関係がない。つまり、 マーラーの意図や意識的姿勢、音楽観に対して「意識の音楽」と名づけているわけではない。勿論、それが無関係だとは 思わないが、意図されたものではなく、音楽として実現されたものがどのように聴こえるかが問題なのだ。ここで実現された 音楽には、選択された歌詞、タイトルなども含まれるし、そうしたものを通じた「意図」の浸透というのは存在するだろうが、 崇高な素材が実現された音楽の崇高さを何ら保証するものではないことに思いを致せば、実現されたものの次元が 存在することは明らかだろう。 従ってまた、「意識の音楽」が、例えば意識の流れを描写するなり表現するなりの意図が作曲者の側にあるかどうかは、 少なくとも一義的な問題ではない。そうでなくても、結果として実現された音楽が「意識の音楽」である可能性は残っている。 要するに、ある種の作曲上の「流派」とか、ロマン主義などといった歴史的・文化的なトレンドとは直接関係はない。

同様に、作曲者の無意識的な音楽観の、実現された作品への反映を読み取るような姿勢もここでは問題にならない。 要するに、意識的だろうが無意識的だろうが、そうした議論は作品に映りこむ、作品とは別の何かを主題としていて、 実は音楽「そのもの」を扱っていない可能性があるのだ。単純な反映理論ではない、例えばアドルノのそれような 際立って優れたマーラー論ですら、ふとした折に、彼の主題はマーラーの音楽そのものではなく、その音楽に読み取れる 音楽とは別の何かなのではないか、要するに彼の言う「音楽観相学」というのは音楽の相貌から読み取れる、 音楽の背後にある何かを解読する試みではないかという感じを否定するのは難しい。音楽は、口実とまでは言わないまでも 少なくとも、それ自体が通路、媒体であるという感覚は否み難いのである。しかもそれは音楽そのものにとどまらず、 一気に作曲者の主体も通り抜けて、一気にそれらの背後にある社会の構造に辿り着く。最後のところで、音楽は 聴こえなくなってしまってはいないかと思われてならない。

それでは「音楽そのもの」を問題にすればいいのか、自律主義美学のかなり厳密な版を採用すべきなのかといえば、 ことマーラーの場合について言えば、作品を作者から切り離された自律的な存在とは考えられないのである。 そもそもが「音楽そのもの」というのが抽象に過ぎず、具体性の履き違えによる誤謬の結果であることはおくとしても、 マーラーの音楽には結果として、それを作曲した主体の意識の痕跡が作品に存在するのは確かなことに思われる。 それを客観的な仕方で論証することが可能かどうかはわからないが、聴き手の意識には、そうしたマーラーの意識の 反応なり運動なりを、音楽を通してというより、音楽「として」読み取ることができるように感じられるのである。 マーラーの音楽は、ごく控えめに言ってもレナード・メイヤーの「絶対的な表現主義者」の立場で捉えるのが妥当なのだ。 繰り返しになるが、マーラーの音楽を総体としてみた場合には、歌詞つきの音楽が含まれることをからして既に、 実際には「絶対的な表現主義者」ですらないと考えるべきなのだが。

ところで、作曲した主体の意識の痕跡を読み取れるという場合、実現された音楽がいわゆる典型的な「ロマン主義的」 と見做されるような、作曲者の思想、感情、感受性などなどを聴衆に伝えるためのもの、という定義からは逸脱する ことを強調したい。それは単なる主観の音楽でも、単なる世界の記述でもない。主観と客観は相関しているが、 その両者の相関の様相が読み取れること、更に進んで、主観の客観に対する反応の様相が読み取れること、 そして、そうした様相に対する主観のリフレクションが読み取れることこそが、「意識の音楽」の要件であると考えたい。 なお、最後の要件については、常にそうである必要があるというわけではなく、そうしたメタレベルの存在が音楽のどこかで 読み取れれば良い。人間は常に意識的な存在であるわけではない。人間の活動の多くは無意識なものだし、眠りの ような意識の中断もある。意識の活動のレベルも、その様相も決して一様ではない。もともと「意識」という言葉は、 複合的な活動をひとまとめに呼ぶための便宜的な名称といった趣が強いことは、認知科学などで論じられている通りである。 例えば記憶の想起、過程の直列性、記号的な記述、自己のモデルといったものの存在の複合を「意識」という言葉で 一まとめにして呼んでいるのであれば、「意識の音楽」における表れについても、そうした側面が入れ替わり立ち替わり 認められることが要件になるだろう。

ここで注意すべきは、単純な楽節の再現、線形性、修辞法の存在自体は、もともとが人間の高度な活動の産物である 音楽においてはありふれたものであり、それらの存在が即「意識の音楽」の条件となることはないという点である。これは 人工物を観察して、その背後に知的な製作者の存在を推論するのに等しい。「意識の音楽」においては、寧ろそれらは 丁度人間の活動においてそうであるように、いずれも不完全な様相を呈していることだろう。記憶には濃淡があり、 想起には、想起しているという「感じ」、つまり背景としての実時間の流れが存在している。過程の直列性は、時折 成立するに過ぎず、常には相互に非同期ですらある並列して動く過程があるばかりだし、直列性が成立する 場合においても、必ず背景に退いた過程が活動を続けている。記号的な記述は、非記号的な処理とともに 存在するのだし、自己のモデルも、それが常に確固としたものというのは、自己自身による錯覚に過ぎず、外界の 状況に応じて、その都度形成され、記憶によって同一性が保たれているに過ぎないのだ。

であってみれば、「意識の音楽」は、寧ろ、人工物に特徴的な抽象的で単純で、整然とした構造を持つものではないし、 一方で、観察された自然の模倣に終始することもないだろう。複合的で不完全な、だが全くの混沌でも非定型でもない、 主観と客観の相互作用の場の記述、更には、その場を記述するメタな視線の記述であるはずなのである。また こうした展望の下で、ようやくパロディ、イロニーといったものの音楽における現われについて論じることが可能と なるであろう。そしてマーラーの音楽こそ、優れてこうした意味での「意識の音楽」であると私には思われるのである。 (2008.9.27)

2008年9月15日月曜日

作品覚書(2)第2交響曲

マーラーの全交響曲中、最も錯綜とした成立史を持つ作品は恐らくこのハ短調の第2交響曲だろう。最初の構想は1888年まで 遡る一方で、完成は1894年だから、足かけ7年もの期間を要している。1888年は後に第1交響曲となる交響詩が完成した年 であるから、春に交響詩を完成させたマーラーは、余勢を駆るようにして、第2交響曲に着手したことになる。最初に完成したのは 今日の第1楽章にあたる部分で、1888年8月8日にスケッチが完成し、翌月の9月10日にプラハでスコアが完成した。

第1楽章の草稿で興味深いのは、タイトルとして「交響曲ハ短調」と記されていて、交響曲の第1楽章であることが意図されて いたことが窺える点である。当時、後に第1交響曲となる作品は既に完成してはいたものの、それは「交響詩」であった。 だから、「交響曲ハ短調」は、マーラーが交響曲として構想した最初の作品であった可能性が高いのである。

ところで、この時点で完成した第1楽章は、よくある管弦楽法上の修正以外の楽曲構成の点でも、今日我々が第2交響曲の 第1楽章として聴いている版とは違いがある。そして、頻度は必ずしも高くないが、この初期稿を交響詩「葬礼」として演奏したり、 録音したりということが行われていることは、ご存知の方も多いだろう。実際、草稿には「葬礼」というタイトルが掲げられているのだが、 それが当初からのものか、後から追加されたものであるかは判定し難いようだ。一方の「交響詩」の方は、最初、交響曲の第1楽章と して構想されたにも関わらず、7年間の裡には、この楽章を独立の交響詩として演奏するようなことも行われており、この交響曲の 成立までの紆余曲折を端的に物語っている。ちなみに、「葬礼」稿が改訂されて、基本的に現在の第1楽章の形態になったのは、 交響曲の完成の年である1894年になってからのことだが、その改訂は、7年越しの課題であった「交響曲ハ短調」の仕上げのための ものであったから、「葬礼」稿を残りの4楽章に続けて演奏するのは、4楽章形態になった第1交響曲に「花の章」を挿入して 演奏するのと同様、些かちぐはぐなことになる。実際、日本初演の際にはそのような折衷形態での演奏が行われたようだが、 大抵は「葬礼」稿を取り上げるときは、単独の交響詩としてのようで、そちらの方が自然なのは言うまでもない。なお、1894年時点では、 今日の第1交響曲はヴァイマル稿の形態であり、未だ交響詩「巨人」であったから、完成時点において、(散逸したらしい初期の作品を 考慮しなければ)最初の完成した交響曲であったことにも注意すべきかも知れない。

だが、この曲の交響曲としての構想が実現したのは、長い創作期間のようやく最後に至って、1894年2月12日にハンス・フォン・ビューロウが 亡くなり、3月29日にハンブルクのミヒャエル教会で営まれた葬儀にマーラーが参加したことによることは非常によく知られていることだろう。 この交響曲の楽章間のコヒーレンスの低さ、とりわけ第2楽章が浮いてしまうこともまたしばしば指摘されるが、実際、第2楽章となるアンダンテが 書かれたのは第1楽章が「完成」したのと時期的に近いにも関わらず、マーラー自身、当初はこの楽章を第1楽章に後続させようとは考えて いなかったようだ。完成した交響曲の演奏指示に、第1楽章と第2楽章との間に少なくとも5分間の休憩を入れるという指示が含まれることもまた よく知られているが、そのことは、マーラーが自ら繰り返し実演を指揮した後でもなお、第1楽章と第2楽章との接続の悪さを感じていたことを 裏付けていると考えて良いだろう。この指示が厳密に守られる頻度については、信頼できる統計的な情報を持っているわけではないので 正確なことは何も言えないが、マーラー以後交響曲が、演奏会で演奏されることのみを意図された、典型的には多楽章形式の演奏時間が 比較的長大な管弦楽曲で、作者がそのように命名したもの程度の意味しか持たなくなった後の時代では、マーラーが気にしていた不整合を 気にする人の数が減っていることは確かだろう。寧ろ5分の休憩を入れたら、それだけで第1楽章と後続の楽章は別の作品の如き感を 与えることになりかねない。この作品は一晩のコンサートを一曲で占有することが常なので(もっともマーラーがそれを意図したかどうかは 定かではない。というのも当時のコンサートは現在よりもずっと盛りだくさんで、長時間に亘る事が多かったからである)、直接的なコントラストが 生じることはないが、例えば3曲からなるコンサートで休憩が1回だとしたら、そのうち2曲は5分と間をあけることなく演奏されることは確かだろう。 違いは寧ろ拍手をするかどうかといった習慣の水準にあるだろう。ともあれ、この指示の特異性はマーラー自身の作品の中でも際立っていて、 例えば、30分以上にもなる長大な第1楽章を持つ第3交響曲ですら、そうした指示は見られない。そして実際、その必要もないのだ。 (もっともバウアー=レヒナーの回想録には、第3交響曲を「交響詩 パン(牧神)」と名付けることとともに、最初の楽章を第1部とし、そのあとに 長い中休みを置こうとするマーラーの発言が記録されているが。アッター湖畔のシュタインバッハ1896年夏の章の7月4日の項。邦訳ではp.123参照。)

要するに、この交響曲は、それを欠点と見做すかどうかによらず、楽章間の構成としては非常に緩やかな構造を持っているのは確かなこと なのである。更に言えば、マーラーが楽章順序について逡巡していたことは1895年1月にハンブルクで最初の3楽章を試演した折に作成した 写譜(コピー)の楽章順序が第1楽章の後にスケルツォが来て、その後にアンダンテが後続する順序であることからも裏付けられる。なおこの 順序は現在流布している版にも練習番号の混乱というかたちでその痕跡が残っている。すなわち、第3楽章の練習番号が28番から始まって 55番で終わるのは、練習番号が27番で終わる第1楽章の後にスケルツォがすぐに続いているこの写譜の順序の名残なのである。これと 対応する証言が、バウアー=レヒナーの回想のアッター湖畔シュタインバッハ1893年7,8月の章の1984年版でのマルトナーによる注記(邦訳ではp.46)、 および音楽シーズン1898年‐1899年の章の注記(邦訳ではp.293。こちらは1923年版でも読むことができる)にも見られる。それらに拠れば、1893年の 夏の時点の証言に対応するマーラーの最初のスケッチ(バウアー=レヒナーの遺品)では、アンダンテ楽章は第4楽章に置かれていたとのことで、 金子が「マーラーの交響曲」p.55において述べているように、I-III-Urlicht-IIという順序が構想されていた時期があったようなのだ。 もっともこの構想は上述の1895年1月の試演の際には既に撤回されており、試演時には現在のI-II-IIの順序で演奏が行われたようだが。

そうしたコヒーレンスの問題は一般には「子供の魔法の角笛」歌曲集との関連の方に専ら注目の集まる、第3楽章と第4楽章についても言える。 マーラーは、第3楽章から終楽章までの方は、中断無く演奏することを求めている。こちらの指示は通常遵守されているようだし、実際、 そうするのが自然に思われるが、その一因は、間に挟まる第4楽章の極端な短さと、終楽章の極端な長さのコントラストだろう。 しかも第4楽章は、それ単独で歌曲として演奏することも可能で、実際にそのように演奏されることも多い。実質的には歌曲とはいえ、 例えば第3交響曲の第5楽章(歌曲としては女声合唱・児童合唱パートはない)や、第4交響曲の第4楽章を独立の歌曲として 演奏される頻度は非常に低いのに比べたら、第4楽章が「子供の魔法の角笛歌曲集」に含まれる歌曲「原光」として取り上げられる 機会はずっと多いだろう。


*   *   *

形式の概略(長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの。全集版。)
第1楽章(ソナタ形式) 呈示部第1主題呈示「アレグロ・マエストーソ 真摯で荘重な表現で」142c
経過部4347
第2主題呈示「勢いを落としたテンポで」4862E-H-es
第1主題展開反復6373c
補助主題7477As
第1主題展開、下降動機呈示7896g
小結尾、下降動機オスティナート「落ち着いて」97116
第1展開部第2主題挿入「非常に中庸に控え目に」117128C-E
『海の静けさ』「メノ・モッソ」129146
第1主題展開への導入「次第にテンポIに戻る」147178e-a-D
第1主題展開「テンポI」179207cis
第2主題展開「少し切迫して」208220F-C-es
第2主題動機挿入「ためらうことなく」221225
行進曲風小結尾「より動きをもって」226243
第2展開部第1主題展開「速く」244270e
第5楽章予示「とても中庸に始めて」271294es
(《怒りの日》動機および第5楽章289~313対応)270294
第1主題展開、展開部小結尾295328
再現部第1主題再現「テンポI 」329356c
経過部再現357361
第2主題再現「控え目に」362369E
『海の静けさ』「よりゆっくりと」370391
コーダ下降動機、第1主題展開「テンポ・ソステヌート」392422c
長/短調「ひきずることなく」423440C/c
突発的結尾「テンポI」441445c
第2楽章(コーダ付の二重変奏) 部分A「アンダンテ・モデラート とてもゆっくりと、急がずに」138As
部分B「急がずに、とてもゆったりと」3985H
変奏A1「テンポI」86132As
変奏B1「精力的に動いて」133209H
変奏A2「テンポI」210284As
コーダ285289
第3楽章(スケルツォ) スケルツォI導入部「ゆるやかに流れるような動きで」112c
部分A(歌曲第1節以降)「とてもゆったりと、急がずに」13102(-C)
部分B(歌曲第5節以降)103148F
部分A148189c
トリオI部分a190271C-D-E
部分b「とても悠然と、歌うように」272327
部分a「テンポI」328347C
スケルツォII部分A348406c
部分B407440F-C
トリオII部分a441464C
終楽章予示(C上のb和音)465480
部分a481544
スケルツォIII部分A「テンポI」545581c
第4楽章(導入部付の3部形式) コラール風導入「とても荘重に、しかし素朴に(コラール風に)」113Des
歌詞第1節(A)1435
歌詞第2節(B)「より動きをもって」3654b-A
歌詞第3節(A)5568Des
第5楽章(拡大されたソナタ形式) 導入部導入動機「スケルツォのテンポで荒々しく始めて」125c
《復活》第6節旋律2642C
呈示部(『荒野に呼ぶもの』~最後の審判の告知)審判のラッパの呼び声「ゆっりと(「遠くの音」)」4361f
主部呈示(《怒りの日》、《復活》第1節動機)「ゆっくりと(最初のテンポで)」6277
副次部呈示(ファンファーレ、第6節動機)「急がずに、いつも同じ速さで」7896
第3節旋律導入「最初はかなり控えて」97141b
主部反復展開呈示経過部(《怒りの日》、《復活》第1節動機)「再びとても幅広く」142161Des
副次部反復展開呈示(ファンファーレ、第6節動機)「再び幅広く」162190C
推移部(打楽器クレッシェンド)191193
展開部(『最後の審判』)導入部展開「マエストーソ~アレグロ・エネルジコ」194219f
主部展開(《怒りの日》、《復活》第1節)「力強く(行進曲風に)」220288F
第1楽章回想「突然少し重々しく、ペザンテ」289313f
導入動機《怒りの日》展開「少し速く」310324
第3節旋律展開、審判のラッパ「遠くから」325402es
再現部(『大いなる呼び声』)導入動機再現「速くして」403417cis
《復活》第6節旋律再現「ゆっくりと」418447Des
審判のラッパの呼び声再現(『大いなる呼び声』)「とてもゆっくりと、引き延ばして」448471fis
《復活》第1節コラール(主部展開再現)「ゆっくりと、神秘的に」472493Ges
副次部展開再現(ファンファーレ、第6節動機)「とても幅広く」493511
《復活》第2節コラール(主部反復展開再現)「ゆっくりと」512536
副次部展開再現(第6節動機)536559
《復活》第3節ソロ「少し動きをもって(しかし急がずに)」560617b
《復活》第4節コラール「よりゆっくりと、神秘的に」617639
《復活》第5,6節ソロ「高揚して、しかし急がずに」640672As
《復活》第6節コラール「ゆっくりと」672711Es
《復活》第7節コラール「ペザンテ」712732
オーケストラ後奏(第6節動機)「少し幅広く」732764

*   *   *

形式の概略:第1,3,5楽章のみ(de La Grange フランス語版伝記第1巻Appendice No.1):英語版との間に異同があるが、英語版は小節数の記載など内容に疑義があるためフランス語版を採用する。
1. Allegro maestoso. 真摯で荘重な表現で提示142主題A(対主題A'とともに再提示)c
4347移行主題A2c
4863速度を落としたテンポで:主題B(バスに三連符のAの断片のオスティナートを伴う)E
6479最初のように:短縮されたAおよびA'の再提示c
80116A'と組み合わせられ、後には単独でのバスでの終結主題c-G
展開117146非常に中庸に抑えて。ハ長調の主題Bが新たな牧歌的なモチーフによって変化する。 A2と結びつけられた(自筆譜では「海の静けさ」と題されている)「ランツ・デ・ヴァッシュ(Ranz des vaches)」(*)e
147178A'と組み合わされたA(バッソ・オスティナートとして用いられる)e/a
179207Tempo primo. バスの終結主題上のA'およびAA/D
208243少し切迫して。Bがヘ長調から変ホ長調についでロ長調に転調F-Es/H
第2展開244253早く。擬似再現(Aの出だしの部分)es
254328とてもゆっくりと始めて:A(バスにオスティナートがつく)、AとC。フィナーレで 重要な役割を果たすことになる「怒りの日」に似たコラール・モチーフの最初の出現(6本のホルン)es-c
再現329356Tempo primo:AとA'c
357361移行主題A2c
362391抑えて:主題B、ホ長調からすぐに元の調性に戻るE-
コーダ392445Tempo sostenuto (だんだんと早くなる):終結主題、A'とAc
(引用者注)*:Ranz des vachesはスイス地方の牧歌。ベルリオーズの幻想交響曲やロッシーニのウィリアム・テルなどで用いられている例が著名。

3. ゆるやかに流れるような動きで132歌曲の(声のパートなしの)セクションAc
3367声のパートなしのセクションAc
68102木管による声のパートつきのセクションAc
103148セクションB。このセクションと歌曲の長調による対比パッセージには、特に9小節の終わりでのオーボエの新しい主題をはじめ、かなりの違いがある。F-Es
149189コデッタ:A(歌曲のコーダのように。ただしそれ以外については歌曲とは異なる。)
トリオ190211スケルツォ部と同じ16分音符のオスティナートによりバスから始まるフガートC
212256新たな対比旋律を伴ったトリオ主題A
257327フォルティッシモのトリオ主題。弦による16分音符のオスティナート上のノスタルジックなトランペットソロに中断されるE
328347弦楽器群に分割されたトリオ主題C-Es
スケルツォ348371A(スタッカート)c
372406Aの全体の再提示c
407440短縮されたBセクションF
441464トリオ部の第2部分、フォルティッシモ、ストレットによるクライマックスC
465480「絶望の叫び」。バスのC音ペダル上の変ロ短調。最高音での長い音符の音階のモチーフで終わるb
481544トリオ主題C
545581コーダ:Aの最後の提示。歌曲の最後の29小節の引用で終わるc

5. スケルツォのテンポで荒々しく始めて;とても控えめに;ゆっくりとetc.提示または前奏125 音階(第1楽章の主題の冒頭から借用されたもの)に続けてスケルツォの「絶望の叫び」の引用。(5,6小節のトランペットとトロンボーンのモチーフを「恐怖のモチーフ」と呼ぶ書き手もいる。この モチーフは後で再現する。):ハ音のペダル上の変ロ短調の和音が61小節にわたって8/3拍子で続く。b/c
2642「とても抑えて」4/4拍子。復活の主題の最初は木管による、ついでホルンによる予告C
4396「ゆっくりと」(オリジナル稿「荒野で叫ぶもの」)舞台裏の金管のファンファーレと木管の3連符(第1楽章の主要主題に類似)。 低弦のピチカートの上での、木管による、ついでトランペットとトロンボーンによる第1楽章の「怒りの日」のコラールf/F
97141「はじめはとても抑えて」パルジファルのアムフォルタスの主題を思わせる嘆きのモチーフb
142161「再びとても幅広く」金管による応答(「怒りの日と復活のコラール」)Des-C
162193ファンファーレとまだ不完全な復活のコラールの主題(「世界の終末」を示唆するこのパッセージは楽器が次々と加わることで音が大きくなっていく 有名な打楽器によるクレシェンドで終わる。このクレシェンドはヴォツェックのクレシェンドのモデルである。)C/c
第2セクションまたは展開194195Maestoro. 恐怖のモチーフf
196219Allegro energico. 甦った者達の行進。コラール主題と贖罪の主題(第1楽章のBに類似)f/F
220288「力強く」「怒りの日」の主題の速められたバージョンに基づく行進曲の主要セクションF-es-d-f-...
289309「突然少し重々しく」付点リズムのオスティナートによる行進曲のクライマックス。コラール主題(第1楽章におけるように)。 301小節から304小節にかけてトランペットによる第1楽章の副次主題の別の忠実な引用がある。(第1楽章282小節から285小節を参照)
310324Più mosso.解体。恐怖のモチーフと行進曲主題の断片。f
325417「再び抑えて」トロンボーンによる嘆きがチェロのレシタティヴ(舞台裏の金管と打楽器のアンサンブルを伴う。ここで最も熟達した空間化の効果が みられる)、ついでヴァイオリンのレシタティヴに発展する。恐怖の主題とスケルツォの「絶望」のパッセージの音階モチーフ。このエピソードは速度を増し、どんどん転調していく。es-f-h-Fis-...
418447「ゆっくりと」本来の復活の主題の最初の出現(弦で、ついでホルンで)Des
448471「とてもゆっくりと、引き延ばして」(オリジナル稿「大いなる呼び声(最後の審判のラッパ)」)完全な崩壊。ホルンとトランペット(舞台裏)の 3連符のファンファーレ。それに対してオーケストラの木管が応答する。死の鳥(フルートとピッコロ)。嬰へ長調(「荒野で叫ぶもの」より半音高い)Fis
終結セクション(合唱による)472535「ゆっくりと」 Misterioso. 無伴奏合唱とソプラノ・ソロによる 「復活」(第1楽章のコラール主題に基づく)。ここがこの作品中で最も心奪われる瞬間である。(マーラーは、聴衆が歌い始めに気付くことのないようにフルート・ソロの後の入りの部分で 合唱が座ったまま歌うことを望んだ。) 第1節の第1部分と第2部分は金管のファンファーレによって分かたれており、徐々に勝ち誇った感じになっていく。復活の主題の提示はとうとう完全になるが、 常にピアニッシモでコラールと結び付けられているGes
536559様々なオーケストラの楽器群による復活の主題の模倣Ges
560617「少し動きをもって」苦悩の主題「おお信じよ」(アルトソロ、ついでソプラノソロ)がだんだんと確信に満ちていく(オリジナル稿で マーラーは、未だ代案としてではあるが2度目の「おお信じよ」のソロにソプラノを使うことを決めた)b/Des
618639「よりゆっくりと」 Misterioso. 「復活」(合唱、アルトソロと金管) Des/As
640671「高揚して、しかし急がずに」苦悩のモチーフの新しいバージョンによる、だんだんと恍惚となっていくソプラノとアルトの二重唱 (671小節に「原光」の「私は神のもとにある」の忠実な引用あり)b-Es
672711「ゆっくりと」「翼をもって」復活の主題の模倣を様々な合唱群が行い、だんだんと緊密になっていくEs-g-Es
コーダ712764Pesante. 「復活」の合唱。オルガン、タムタム、鐘を伴った復活の主題の最初の部分の絶え間ない 繰り返しによる管弦楽の終結部が続く。Es
(2008.9.15, 20, 2009.8.12, 2010.4.25, 5.5 この項続く)

2008年9月13日土曜日

作品覚書(1)第1交響曲

現在交響曲第1番と呼ばれているこの作品は、作曲当時の文脈ではそうではなかった。一つには最初の番号を持つ作品固有の トリヴィアルな理由によるもので、仮に1曲しか書かれなければ、それは単に交響曲と呼ばれていて番号付けはされなかったに違いない。 最初の作品なのだから作曲当時の文脈では(次の作品を双子のように書いていたり、あるいは次の交響曲の明確なプランを持って いれば事情は異なるが)、この曲は番号を持っていなかっただろう、というわけだ。(もっとも、それ以前にマーラーが「交響曲」を既に 作曲していたという証言は複数存在する。例えばバウアー=レヒナーの回想録の1896年夏の章の「若い頃の作品」と題された 6月21日の項(邦訳p.111)を参照。疑わしいものも含めて、現在残っていないが作曲されたかも知れない若い日の作品の リストはミッチェルの3巻本の第1巻に詳しい。)

ところがマーラーの場合には、些か事情が異なるのである。上記のような事情は、しいて言えば今日第2交響曲と呼ばれる ハ短調の交響曲に当て嵌まるのだ。では第1交響曲はどうだったのか。何人かの作曲家の場合には出版順と作曲順の違いから 番号に混乱が生じたが、マーラーの場合にはそうしたことは起きなかった。そうではなく、今日の第1交響曲は、作曲当時は作曲者 自身により交響詩と見做されていたのである。 マーラーの音楽にはいわゆる「標題音楽」的傾向が強いことがしばしば言われるが、実際、作曲当時は標題交響曲ですらなくて、 多楽章形式の交響詩であったのだ。

標題ではないが、交響曲に「愛称」が着くことはしばしばあって、マーラーの場合には、とりわけその傾向が強い。 中には由来の怪しいものもあるようだが、この第1交響曲のそれ「巨人」というのは、そういう意味ではオーセンティシティのある 名称である。一時期ではあるが、作曲者自らによって、交響詩「巨人」と呼ばれていた時期があったからである。ただし、 「巨人」というのはあくまでも交響詩のタイトルで、その後マーラーがこの曲を第1交響曲と見做すようになったときには、そうした 名称はなかった。だから、オーセンティシティは認められても、交響曲の名称として用いるのは、少なくとも作曲者の本意ではない ことになる。

つまりこの曲は、当初交響詩として構想され、後になって交響曲になったのだが、それではそれは単なる呼び方の変更に 過ぎなかったのかというと、決してそういうことはない。交響詩から交響曲に変わるに伴い、標題のみならず、作品の構成自体にも 変更があったのである。その変更は多岐に亘るが、外見上最も顕著なのは当初5楽章であったものが、4楽章になった点であろう。 オリジナルの形態では第2楽章に相当していた楽章をマーラーは削除してしまったのである。削除された楽章は、交響詩の時代に その楽章に与えられていたタイトルである"Blumine"「花の章」と呼ばれ、マーラーの死後に「再発見」されてのち、今日でも 稀ではあるが演奏されることがあるし、録音も幾つか存在するようだ。ただししばしば見られる、「花の章」を交響曲第1番の 第1楽章と第2楽章の間に挟んで演奏するやり方は、上記のような経緯を踏まえれば、これまた作曲者の意図に添ったやり方とは 言えないだろう。というのも繰り返しになるが、変更は「花の章」削除に限定されるわけではないからで、「花の章」を復活させるならば、 結局は程度の問題とは言いながら、可能な限り他の楽章についても、オリジナルに近い形態を使用することが望ましいには違いない。

「花の章」については別のところにまとめたものがあるので、それに譲るとして、交響詩全体の構想はどうだったのか、また 「巨人」というのは一体何に由来するのかに言及すると、「巨人」というとギリシア神話に出てくる巨人族を思い浮かべる向きがあるかも 知れないが、ここでの「巨人」の直接の典拠は、ジャン・パウルの小説である。かつてシューマンがそうであったように、 若き日のマーラーのジャン・パウルへの傾倒は相当のもので、第1交響曲のオリジナル形態であった交響詩にマーラー自身が つけた標題には他にもジャン・パウルへの言及が見られる。もっとも留意すべきは19世紀になったばかりの時期に成立した ジャン・パウルの小説の持つ位置づけは、そのほとんどを19世紀前半に生きたシューマンの場合と、そのほぼ半世紀後の マーラーの時代とでは些か異なったかも知れないという点である。標題での言及にも関わらず、そして交響詩であるにも 関わらず、この作品はジャン・パウルの作品とは直接には関係ない。小説のどこかを描写したとか、登場人物の誰かの性格描写で あるとか、そういった関連は全くないのである。そもそも、この曲が当時マーラーが歌劇場監督の地位にあったブダペストで 1889年11月20日に初演された折には、2部からなる「交響詩」と題され、第4楽章に「葬送行進曲」というタイトルが与えられている 以外には標題らしいものはなかったのだ。標題が出現するのは、1893年10月29日にハンブルクで行われた2回目の演奏のことであり、 若干の変更が加えられて、翌1894年6月3日ヴァイマルでの3回目の演奏にも標題は引き継がれる。ところが1896年3月16日ベルリンで 行われた4回目の演奏に至って、この作品は単なる「交響曲ニ長調」と題され、同時に"Blumine"「花の章」は削除され、大筋で今日の 形態に変更されるのである。

要するに、「巨人」というタイトルは、同じくジャン・パウルの小説である「ジーベンケース」への言及を含む、より詳細なプログラムと ともに理解されるべきで、なおかつ、順序からいけば「後知恵」であって、結局不要なものとして撤回されてしまったのである。 ただし、標題が追加された経緯と、それが撤回される時の状況の非対称性には留意すべきであろう。ハンブルク稿への改訂の 方法のせいもあって、ブダペスト稿がどのようなものであったかを正確に知ることはできないようなのだが、特に楽器法において 大幅な改訂が行われた傍証はあるものの、作品の基本的なコンセプトの変更が伴うようなものではなかったと考えられるのに対し、 ベルリン稿への改訂にあたっては、明らかに作品構想の上での変化があり、それとともに標題が削除されているからである。 更に言えば、ブダペスト初演時には確かにプログラムは印刷され、聴衆に対して公表されこそしなかったものの、プログラム自体が 存在しなかったとは言えないのだ。

それでは、ベルリン稿作成時における構想の変化とはどのようなものであったかといえば、一言で言えば、「交響詩」から「交響曲」への 切り替えということになるのだろう。つまり「嘆きの歌」から数年の沈黙を経て、今日の第1交響曲に相当する作品が構想されたとき、 それは交響曲としては考えられておらず、その後数回の演奏とその結果に基づく改訂の結果、ようやくそれは交響曲と見做されるように なったのだ。そしてその時期は、番号上は後続する第2交響曲よりも後であることには留意しておくべきだろう。

*   *   *

形式の概略(Philharmonia版ミニアチュア・スコア所収のもの)
第1楽章 序奏(ペダル音A上の)161
主題群16284
主題群2:主題1から形成された付加部分と主題群2の変奏された反復を伴う84135
付加:終結へと拡大される135162
展開(序奏の変奏された反復で開始される)163357
主題群1および2の再現357416
終結群:コーダへと拡大される416450
第2楽章 スケルツォ 主部143
展開部(Eから順次下降していく)44116
主部の反復と移行117174
トリオと復帰175284
スケルツォ(短縮された反復)285358
第3楽章 主題1138
主題2(主題1の回想で閉じる)3983
中間部(おおむねトリオに相当)83112
変形された再現(主題1は主調で現われず、主題2の短縮された反復の間にようやく主調に到達する。一方主題2は主題1の回想と結び付けられる)113144
コーダ145168
第4楽章 導入154
主題群155174
主題群2175252
展開(この楽章と第1楽章の幾つかの主題による)と再現(更に第1楽章の回想による)253458
主題群2の再現458532
主題群1の再現533622
コーダ623731

*   *   *

形式の概略(ハンブルク稿・長木「グスタフ・マーラー全作品解説事典」所収のもの)
第1楽章「終わりなき春」(ソナタ形式) 導入部4度下降動機提示「遅く、ひきずるように、自然音のように」各種動機挿入「ピウ・モッソ」147d/D
半音階的動機「テンポI」4762-D
呈示部主題呈示部63135
歌曲第3節(75)(108)
歌曲第1節(109)(135)
小結尾「次第に高揚して、新鮮でいきいきとしたテンポで」135162
展開部導入部展開I(「自然音」)163206
導入部展開II「非常にゆったりと」207220
主題展開「急がずに」220304F-A-Des-As-C-F
第4楽章予示305351f
再現部導入部展開再現(突破/発現)「切迫して」(「自然音」)352363
主部展開再現364416
小結尾416442
コーダ443450
第2楽章《花の章》(3部形式) 主部「アンダンテ・アレグレット」136C
主部変奏I「リテヌート」3778a-F-d-a
主部変奏II「少し速くして」79100B-Ges
主部再現「テンポI」101125C
コーダ126140
第3楽章「帆をいっぱいに張って」(スケルツォ) スケルツォ第1部分「力強い動きをもって、しかし速すぎず」143A-E
第2部分4467-Cis
第3部分「野性的に」68107
第4部分108132-A
結尾133170
トリオ第1部分「まさにゆったりと」171218F
第2部分219246D-Fis-D
第3部分247284C
スケルツォ「テンポI」285321
コーダ322358
第4楽章「座礁して」(葬送行進曲) 行進曲カノン第1部分138d
カノン第1部分3962g-A-g-B
カノン第1部分6381
トリオ「民謡のように、非常に平易に簡素に(!)」82112
行進曲第1部分113131es
第2部分132137B
第1部分138157d
コーダ158168
第5楽章「地獄より」(ソナタ形式) 呈示部導入部「嵐のように激動して」154f
主部主題提示「力強く」55142
小結尾「非常に野性的に」143174
副主題呈示「きわめて歌うように」175238Des
経過部第1楽章引用「ゆっくりと」239253
展開部主部主題展開I254290g
コラール予示(楽園)291317C
主部主題展開II318370c
コラール「ペザンテ」371428C-D
第1楽章導入部回想「非常に遅く(!)」(「自然音」)429444d-c
副次主題展開挿入「非常に遅く、また控え目に」444448F
第1楽章回想(半音階動機)449458
副次主題展開459520-f
移行句521533
再現部主部主題展開再現534623
ファンファーレ、コラール「最高の力で」624696D
コーダ697736

*   *   *

形式の概略:第4楽章のみ(de La Grange 英語版伝記第1巻Appendix/フランス語版伝記第1巻Appendice No.1)
4. 嵐のような動きで導入154重要な音型の提示、そのうち2つは主要主題に属するf
呈示55174A(第1主題と導入からの様々なモチーフ)f/Des
175237B(第2主題)Des
238253第1楽章導入(以下「導入1」)からの引用、フィナーレ導入(以下「導入F」)からのモチーフを伴う移行主題Des/g
展開2542891.最初のテンポ(「導入F」からのモチーフと主題A)g/a/Des/des
2903162.(主題Aとその転回)C
3173743.(主題Aと「導入F」からのモチーフ)、「導入1」からのファンファーレC/c
3754274.ハ長調からニ長調への突然の転調、転回された主題Aと「導入1」の主題D
4284575.非常に遅く(様々なモチーフを伴った「導入1」とその移行主題、Bと第1楽章のAの開始)d
再現458532B:非常に遅く、長い属音ペダル上のヘ長調F
533622A:Tempo primo. 「導入F」からのモチーフ、ファンファーレと第1楽章展開部からの引用f/B
コーダ623741突然のニ長調への転調、導入からのファンファーレ、Aの転回など。すべての既出モチーフの総括D

(2008.9.13~10.25, 11.30, 2009.8.12, 2010.5.5 この項続く)

マーラーの音楽の「自伝的性格」について

マーラーの音楽を形容する言葉として、しばしば「自伝的」という言い回しが用いられることがある。だが、「自伝的」であるというのは どういうことなのだろう。一般にはそれは、マーラーの作品にはその創作時期のマーラー自身の心境が色濃く反映されているといった 意味合いで用いられているようだ。そしてそれは確かに間違いではないだろう。マーラーは職業的な作曲家にはならなかったので、 作曲に充てられる時間が制限されるかわりに、作曲の内容については職業的な作曲家に比べて遙かに制約のない立場にあったという 事情と、そうした自伝的性格とは多分密接に関連しているのだ。時代を代表する名指揮者マーラーの作曲に対する同時代の 平均的な反応が「道楽」であったのも無理がないどころか、経済的な視点からすれば実際にそれは道楽以外の何物でもなかった筈である。 一方で、「道楽」であることと「自伝的性格」を持つことは必ずしも直接の因果を持つわけではないだろう。それは多分に音楽観の問題で あって、マーラーとて時代の制約から自由なわけではなく、時代の影響は無視できないだろうが、それでもなお、幾ばくかはマーラーその人の 意識的な選択であるに違いない。否、作曲を生活の糧を得るための手段としなかったこと自体が、マーラーの選択であったのではないか。

最後の点については、マーラー自身の言葉に基づく、一見したところ実証的な反論がありうる。「嘆きの歌」がベートーヴェン賞を受賞して いたら、指揮者なんぞやっていなかったに違いない、といったような内容の言葉が残っているからだ。逆にウィーンを去ってニューヨークで シーズンを過ごした晩年には、ゼメリングに地所を買い、そこで作曲に専念するという計画を抱いていたらしい。そのための資金稼ぎの 途中で没したため、ゼメリングで作曲をする夢は実現することはなかったけれど。だが実は、若きマーラーには作曲のための飢えに耐えるという 選択肢は無かったに違いない。ここでもまたユダヤ家父長制という環境の拘束下にあったマーラーは、実質的に長男としての役割を 果たさなくてはならないという自覚を持っていて、飢えても自業自得といった「自由」はマーラーには与えられていなかった。とりわけ若き日の マーラーが指揮者としての仕事と作曲の間で葛藤を感じた様子もあり、しばしば作曲のために職務怠慢を咎められたこともあったようだが、 結局のところマーラーは「バカンスの作曲家」になることで両者のバランスを取り続ける事になる。勿論、仕方なしの選択であったのだろうが、 それでもマーラーは充分に自覚的にそうしたことを選択したはずである。

そのようにして確保した作曲のためのゆとりを用いて、それではマーラーは「自伝」を書こうとしたのだろうか。ここでもまた、とりわけ標題的な説明が 豊富に遺されている若き日の作品についての彼自身の言葉や、第6交響曲のアルマの主題、あるいは第9交響曲や第10交響曲の草稿に 書き込まれた言葉を証拠に、そのような主張が行われるのだろう。だがその一方で、第3交響曲の作曲の頃に述べたとされる「世界を 構築すること」という言葉は、よしんばそれが彼個人の世界観の表明を音楽の形態で行うことだと読み替えたとしても、やはり「自伝」という 言葉とは背馳するように感じられる。ベッカー以来、世界観の表明としてマーラーの音楽を捉えようとする立場は有力だが、そこでは今度は、 それがマーラー個人のそれであるという契機の方はずっと弱められ、しばしば文化史的な文脈に還元されがちにすらなる。「世界観音楽」もまた それはそれで時代精神の賜物というわけだ。

その一方で上記のような捉え方に対して、それはマーラーの意図の水準の話で、音楽として何が実現されているかとは別問題であるとして、 「自伝的」というのも、あくまでも結果としての音楽がそうである、という意味合いに解するべきである、という主張があるかも知れない。 そうした主張は、実は世界観音楽についても、時代を映す鏡という捉え方についても、全く同様に成立するのだが。こちらの意味合いに とるならば、冒頭に書いた心境の反映というのは、音楽はマーラーの自己の経験についての音楽ではなく、自己の経験を素材の 一部として用いつつ、別の何かについての音楽であるわけでもなく、その音楽に、意識的であれ無意識的であれ、マーラーの経験が 映り込んでいるということなのだろう。この場合の「経験」は普通には(比喩的・類比的に捉えない限り)音楽の外部にあるものと 考えられている。更に音楽を作曲することもそうした一連の経験の系列の一部だから、それが映りこんでいても良いはずだ。 作曲「について」の音楽といった意味合いでのメタ音楽であるという捉え方は、一般には寧ろ意図の水準で考えられるだろうから、 実現されているもののレベルでの議論とは一応区別すべきだろうし、作曲行為を抽象化したり分析したりという作業は、そうした作業 自体は経験の一部だが、作曲行為の方は分析の対象であり、経験そのものではないので区別して考えるべきだろうが。

上記のような捉え方をすれば、どのような意図と内容を持つ音楽であれ、作曲者の音楽外の経験の映り込みを主張することは 可能だろう。極端な話、アルゴリズミック・コンポジションであってもなお、そうした主張は可能だろう。だが、一般に「自伝的」と 呼ばれる場合にはそうした意味合いで言われているわけではあるまいし、とりわけマーラーの場合についてはそうではあるまい。 私もまた、マーラーの音楽には「自伝的」と言われかねない、極めて私的な性質があることを感じずにいられない。だが、しかし、 だからといって、マーラーの生涯における特定の伝記的事実に行き当たって、音楽と人生の結びつきを感じるということはない。 天才神話というのは奇妙なもので、才能の在処とは別の、本来は素材に過ぎない世界観や、人生における経験とそれに 対する反応自体が何か特別に価値あるものと思い込まれかねないようなのだ。よしんばそうした物事に対する感受性、 激情や繊細な感覚の揺らめきといったものが、作曲においてもまた効用を持つものであることを認めたとしても、それでもなお、 天才や才能はそうした感受性そのものを評価してのものではないはずで、天才の称揚には何かすり替えが潜んでいるように 思えてならないのである。マーラーは指揮者として、作曲家として天才であったに違いない。だが音楽的能力におけるその天才を 控除すれば何が残るだろう。夢想的で極端に傷つきやすく、人の心を読むに長け、心を掴む能力に富んでいながら、 それでいて人付き合いの苦手な、散歩と(当時流行の)サイクリングと水泳が好きだが、読書の嗜好は些かアナクロ、 哲学や自然科学への強い嗜好を持った、などなどといった平凡な人間像が浮かんでくるだけである。マーラーの伝記は 波瀾に富んだ「面白い」ものかも知れないが、それが天才を担保することなどありえないだろう。

シェーンベルクは、マーラーのネクタイの締め方を知ることが楽理の勉強よりも価値あることだといったような発言をしたそうで、 ド・ラ・グランジュは、その大部の伝記の劈頭、その言葉を引いて、自己の企ての支えとしている。ド・ラ・グランジュの業績の 大きさには疑問の余地がないし、一次文献にあたることができない人間にとって、その調査結果はマーラーについて何かを 語るにあたっての貴重な拠りどころなのだが、誤解を恐れずに言えば、少なくとも極東の僻遠の地で1世紀後に、主として 録音と楽譜によってマーラーの音楽を「消費」している私にとって、その微に入り細を穿った伝記的事実は、正直なところ それほど自分のマーラー受容の動機とは関わりがないと言わざるを得ない。私は文化史の研究者ではないし、 19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパを俯瞰することになぞ興味はない。ラ・グランジュの言う水準での「自伝的要素」を 全く無視しようとは思わないが、実のところ、それが私にとってのマーラーの音楽の魅力と直接関係するわけではないのである。

同様に、マーラーの音楽で表現されているらしい「世界観」とやらの方も、それを当時の文脈に即して読み取る限りにおいて、 それにどんな意義があるのか、私には判然としない。同時代における展望と今日の日本からの展望は自ずと異なる筈で、 それをマーラーの音楽の核心であるかの如く説明されても白けるだけで、解説する本人は一体、自分の住まっている世界と 語っている内容の間の落差をどう考えているのか、訝しく思うばかりだ。大きなお世話だが、そういう人はマーラーの音楽 そのものを一体どう聴いているのだろう、と思ってしまいもする。もっともだからといって、コンサートホールそのものが異郷の 過去の文化的遺物であって、それ自体が文化財、骨董品の類であると思っているわけではない。その点については 私はアナクロ人間であって、特殊な接点を持っていると感じられる三輪眞弘のような例外を除けば、同時代の同じ場所での 問題意識と展望の共有(実際には完全な一致などありえないにせよ)を前提に音楽を聴くことができない。「共感」という点 では、ジャンルを問わず、同時代の大抵のものよりも近しいものは過去の異郷にある。そんなことではどのみち真の理解に 達することはできないのだ、と言われてしまえば返す言葉はなく、そうかも知れないと諦めるしかない。マーラーフリークであった かつての私なら困ったかも知れないが、マーラーに対して距離感をはっきりと感じている今なら、別にそれで困るわけではない。

マーラーの音楽は「自伝的」かも知れないが、その実質は充分に明らかではない、というのが現時点での私の印象である。 マーラーにとって作曲とは、個人的で私的な行為だったが、「心から心へ」式のコミュニケーションモデルを信じていたとは 到底思えない。仮にそれを私的な独白であったと見做しても、マーラーが選択した手段は交響曲であり、選択した素材も、例えば 歌詞にしても、それぞれどこかで主観的な扱いを拒むものであったことに留意すべきだろう。それなら思想の表明と考えればその器は 適切だろうということになるのかも知れないが、その場合でも、マーラーの音楽の魅力の淵源が、内容としての思想なり 世界観にあるのか、疑問が残る。マーラー自身の「書きとらされている」という意識は、寧ろ後期ロマン派的な態度の典型、 己を司祭と見做す誇大妄想の類と受け取られるのかも知れないが、そこに自己を下降して超え、その根拠からの声に 耳を傾ける動きを見出せないだろうか。とはいっても今日の時点でそれを殊更に神秘化する必要はない。例えば、 ジェインズの二院制の心のような議論を思い浮かべていただいても良いのだ。

結局のところ、ある時代の音楽の持つ傾向やある種の作曲技法が無条件に固有の結果を担保することはない。 良く出来た音楽とそうでない音楽がある、という意味においてもそうだが、それ以上に、見かけの、あるいは場合よっては 作曲者の意図を超えて、三輪眞弘の言う、「人間ならば誰もが心の奥底に宿しているはずの合理的思考を越えた 内なる宇宙を想起させるための儀式のようなもの、そこには自我もなく思想や感情もない、というより、 そこからぼくらの思考や感情が湧き出してくる、そのありかをぼくらの前に一瞬だけ、顕わにする技法」 たることがありえるのではないだろうか。三輪眞弘のこの言葉はロマン派的な美学に対する批判の文脈で語られていて、 「音楽とは、才能ある人が抱いた思想や激情や繊細な感覚の揺らめきを聴衆に伝えるためのものなのだろうか? その例をぼくは無数に知ってはいるが、そんな一方的で趣味的なものでは決してない、といつも思っている。」という表明と 対になっている。さながらマーラーなど、その批判のやり玉に真っ先にあげられる格好の標的である、というのが 一般的な考え方だろうし、確認したわけではないけれど、発言者自身ももしかしたらそう考えているかも知れない。 だが、私にとってのマーラーは、批判されている側に属していないとまでは言わないにせよ、控えめに言っても同時に、 その反対側の要件も備えているように感じられてならないのである。そう、更に三輪眞弘の顰に倣えば、そうでなければ 今日の日本でマーラーを聴くことなぞ「単なるイケテナイ娯楽でしかない」のではなかろうか。結局のところ、マーラーの 音楽は狭義で「自伝的」というに留まらない何かを備えているに違いないのである。 (2008.9.13)