Il n'avait pas cinq ans lorsqu'on lui demanda ce qu'il rêvait de devenir plus tard. La réponse de Gustav Mahler fut aussi surprenante que la question avait été banale : « Je veux être un martyr ! »
Sans doute Arnold Schoenberg ne connaissait-il pas cette anecdote et pourtant il allait s'exclamer, après la mort de Mahler : « Ce martyr, ce saint ... peut-être était-il écrit qu'il nous quittât? ... » Certes, l'histoire de sa vie suffit à détruire la légende aussi absurde que tenace d'un Mahler crucifié par les tragédies personnelles, les deuils, les drames et toutes les catastrophes qui forgent l'âme romantique. Quoi qu'il en soit, Mahler fut réellement un martyr et cela au sens littéral du mot, c'est-à-dire un homme qui met sa vie, toute sa vie en jeu pour sa croyance, un homme pour qui le sacrifice est accomplissement. Sa religion de la musique, son douloureux idéal de la perfection devaient en faire la victime désignée des philistins de la tradition, de la routine et de la facilité. Pour lui, l'acte de musique passait par la contrainte de soi-même, par la souffrance. Il sera donc un martyr de la musique au même titre que Flaubert un martyr des lettres.
大人になったら何になりたいかと尋ねられたとき、彼はまだ5歳にもなっていなかった。グスタフ・マーラーの答えは、問いが平凡であったのと同じくらい驚くべきものだった。「ぼくは殉教者になりたい!」
アルノルト・シェーンベルクは恐らくこの逸話を知らなかったでしょうが、にも関わらず、マーラーの没後、「この殉教者、この聖人…我々のもとを去ってしまった…」というように述べています。 確かに、彼の人生の物語は、個人的な悲劇、喪、ドラマ、そしてロマンチックな魂を鍛え上げるあらゆる大惨事によって十字架につけられたマーラーという、執拗で馬鹿げた伝説を破壊するのに十分です。とはいえマーラーは実際に殉教者であり、言葉の文字通りの意味でのそれ、つまり自分の信念のために自分の命、全生涯を賭け、犠牲を成し遂げた人でした。音楽という彼にとっての宗教、完璧さという痛みを伴う理想は、彼を伝統、ルーチンワーク、安易さに埋もれたペリシテ人たちの餌食にしました。彼にとって、音楽という行為は苦しみと自己抑制を伴うものでした。それゆえフローベールが文学の殉教者であるのと同様、彼は音楽の殉教者なのです。
同じくアンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュのマーラー伝の今度は本文の冒頭である。子供の頃何になりたいかと聞かれて、殉教者になりたいと答えた このエピソードもまた有名なものだが、これを冒頭に置き、またしてもシェーンベルクの言葉を引きながら、マーラーが結局、音楽の殉教者であったという 規定をするところから、この長大な伝記が始まるのである。(なお、恐らくこのシェーンベルクの言葉の引用とされるものは、マーラーの思い出に捧げられた『和声学』から採られたものに違いないのだが、上記フランス語版の引用は断片的過ぎて、実質的に彼がマーラーを殉教者と呼んだということしかわからないし、典拠の記載も為されていない。この点はド・ラグランジュ没後に刊行された、英語版第1巻の改訂版では改善されていて、ここに引用したパラグラフはより詳細な記述によって大幅に増補されていて、更に典拠が注記されているのが確認できるが、ここでは、本稿執筆当時に参照したフランス語版を引き続き参照することにする。なお、フランス語版に先行する英語版の最初の版では、最初のアルマの語るアネクドットこそほぼそのままだが、次のパラグラフは全く異なるものであった。)
個人的なことになるが、もう20年ちかく前に、このアンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュの伝記ではなく、ドナルド・ミッチェルの研究の最初の巻を読んだ時に、 膨大な伝記的情報が、音楽を聴くことで自分の中に勝手に作り上げていたマーラーのイメージと一致せず、身勝手な親近感に冷水を浴びせかけ、 距離感をもたらすことになった経験がある。だから伝記には楽聖伝説の類を破壊する効果があるという言葉には頷けるものがある。否、楽聖伝説の 類には興味がなくても同じことだ。同じ中部ヨーロッパに住んでいるならまだしも、それは自己の想像力を遙かに超えた距離の向こう、時空の彼方にあるのだ。 評伝を幾つかと、とりわけアルマの回想録を、その内容をそらんじられるほど読んで、すっかりマーラーを「わかった」気になっている愚かな若造に対して、 自分の知らぬ人、自分の知らぬ土地やものをこれでもかとばかりに延々と提示することで、自分がわかったと思ったのがどんなに浅はかな思い込みに 過ぎないかを思い知らせる効果が、このような伝記には確かにあるのだ。量はここでは質的な効果を持っていて、結局、ある人の生の厚みを そのまま追体験することなど勿論出来はしない、そのわかりきったことを、ともすれば忘れてしまう浅慮を粉砕する強度は、まさにその量に由来するのだろう。
それでは、音楽の殉教者という規定の方はどうか?それは間違いではないのだろうと思うが、こちらもまた、私にとってはマーラーという人の「理解しがたさ」を 象徴するようにさえ感じられる。そうした人間の書いた音楽が自分を惹きつけるのは何故なのだろうか、あるいはまた、自分は本当にその音楽を 理解しているのだろうか、という問いは恐らくなくなることはないのだろうと思う。マーラーのような「時代の寵児」の伝記であれば、恐らく別の読み方― 時代を知るためのコーパスとして用いるような―もまた可能なのだろうが、残念ながら私にはそうした視点の移動はできそうにない。 私にとっては、マーラーの音楽の特異性がまずもって問題なのだから。それゆえ私にとって、伝記というのは直接謎に答えてくれる情報を提供してくれるものではない。 そもそも伝記もまた、「客観的な事実」を伝えるものではなく、ある人物の生の軌跡を浮び上がらせるために、できるだけ多くの視点を提供することに あるのだし。それゆえ必要に応じて伝記を参照することは、寧ろ、過度の熱中による思い込みを防ぎ、適当な距離感を持つために必要なものと 感じている。(2007.7.7マーラーの誕生日に, 2024.8.12 邦訳を追加し、ド・ラ・グランジュの伝記の各版による記述の相違について追記。)