2015年4月24日金曜日

大地の歌管弦楽版の自筆譜に関する備忘

 最近(といってもこれは年単位くらいのタイムスケールでの話なのだが)多忙で、頭の中ではマーラーの音楽が しょっちゅう鳴ってはいるものの、なかなかマーラーに対して向き合う時間と取ることが困難な状態であったところに、 管弦楽版「大地の歌」の自筆譜に関する問い合わせを或る方から頂いた。

 残念ながら時間の制約が厳しく、現在の私に調べがつき、コメントできたのはやっと以下のようなものに過ぎなかったので、 あくまでも後日のための備忘といったレベルに過ぎない内容ではあるが、記録をしておくことにする。

 問い合わせを頂いた方にとっては、あまりお役には立なかったのではないかと懸念しているが、その一方で私自身はと言えば、 久し振りにマーラーのために時間を使うことができて非常に新鮮に感じられた。この場を借りて、ご連絡頂いたことに感謝したい。

 近年、図書館や博物館における資料のデジタルアーカイブ化の進展は著しく、また、何度か紹介しているように、 Web上でもIMSLP(国際楽譜ライブラリープロジェクト)にて、版権の切れた印刷譜や自筆譜がpdf化され公開されている。 マーラーの自筆譜に関しても、この文章を書いている時点で、第1交響曲のハンブルク稿(「花の章」を含む)、 第5交響曲のアダージエット、第4交響曲、第10交響曲について一般に利用可能となっている(第10交響曲については、 1924年に出版されたファクシミリ版のデジタル化も含まれている)。

 ほんの少し前までは、そうした資料にアクセスすることができる研究者の文献を介した間接的な情報しか 知る手段がなく、良くてそうした文献に図版として収められた一部のみを確認するのがせいぜいであったことを 考えれば、こうした変化は画期的な事である。第2交響曲や第7交響曲、第5交響曲のアダージエットや第10交響曲の 一部、更には「大地の歌」のピアノ伴奏版はファクシミリが市販されたこともあるのだが、市井の愛好家が入手したり 参照したりする機会は限定的なものであり、私自身、手元にあるのは第7交響曲のみに過ぎない。今後はそれらも含めて、 これまで一般に公開されて来なかったものが電子化されて公開され、参照できるようになることを期待せずにはいられない。

 さて、ここでの対象は「大地の歌」の管弦楽版なのであるが、結論から言うと、管弦楽版「大地の歌」の自筆譜については、 部分的に色々な書籍で見ることはできるものの、全体のファクシミリが一般に入手できる状態ではないようである。 公共性の高い場所に所蔵されているようなので、もしかしたら既に閲覧を請求したり、場合によっては手続きなしでWebで 閲覧できたりするかも知れないが、現時点での状況について調査する時間は取れていない。

 以下、手元にあってすぐに確認でき典拠とすることができたた文献を掲げる。
  • a, Stephen E. Hefling, "Mahler : Das Lied von der Erde", (Cambridge Univ. Press 2000)
  • b, Henry-Louis de la Grange, "Gustav Mahler: Chronique d'une vie, III, Le génie foudroyé", (Fayard, 1984)
  • c, Henry-Louis de la Grange, "Gustav Mahler: volume 4, A new life cut short (1907-1911)", (Oxford Univ. Press, 2008)
  • d, Peter Revers u. Oliver Korte, "Gustav Mahler: Interpretation seiner Werke", Band 2, (Laaber, 2011)
上記文献にも紹介されている通り、「大地の歌」管弦楽版の資料としては、①自筆管弦楽草稿、②自筆フルスコア、 ③コピイストによるフルスコアの写譜が区別できるようなので、それぞれについての記載を整理すると以下に記載の通りである。
①自筆管弦楽草稿
  • 第1, 第2楽章は所在不明(一部のみ幾つかの書籍の図版等にて確認可能)。
  • 第3楽章 Wien, Gesellshaft der Musikfreunde
  • 第4楽章 New York, Pierpont Morgan Library, Robert Owen Lehman Deposit(アルマのコレクションから)
  • 第5楽章 Wien, Stadt- und Landesbibliothek
  • 第6楽章 Den Haag, Gemeentemuseum, Willem Mengelberg Stichting(aの記述による)
    → Den Haag, Koninklijke Bibliotheek, Netherlands Muziek Institut, Willem Mengelberg Archief(dの記述による)
上記の通り、第6楽章のみは所在の移動があったらしく、文献により所在の情報に差異がある。
②自筆フルスコア
Pierpont Morgan Library, Robert Owen Lehman Deposit(アルマのコレクションから)
③コピイストによるフルスコアの写譜(マーラーの訂正書き込みを含む)
Stichvorlage. Kopist:Johann Forstik,
Wien, Stadt- und Landesbibliothek(Universal Editionが寄託)

 「大地の歌」の場合、従来知られてきた管弦楽版とは別に、マーラー自身がピアノ伴奏版を 作成していたことが知られるようになり、ファクシミリ版の出版、国際マーラー協会の全集補巻への収録、 更には既に幾つか存在する演奏の録音については良く知られていることだろうが、いわゆるピアノ伴奏版 というのは、上記の管弦楽版においては①自筆管弦楽草稿とほぼ同じ時期の自筆譜が残っている。 他方でマーラーがこの作品の初演を自ら指揮することなく没してしまったこと、従ってそれ以前の 作品には多少なりとも存在する、出版後の修正・改訂を経ていないこともまた良く知られているだろう。

 「大地の歌」は昔から、それが交響曲であるかどうかといったジャンルの問題が取り沙汰されることが多いが、 そうした側面から見た場合、自筆譜は一体何を物語っているのだろうか。近年、国際マーラー協会が出した 「大地の歌」管弦楽版の新版は、上記ピアノ版の検討結果を管弦楽版に反映させるといった 方向性のものであったようだが、管弦楽版自体の生成プロセスについてはどうか?

 「大地の歌」を管弦楽伴奏歌曲として見ると、最終的な管弦楽配置の規模は大き過ぎ、室内交響曲的な ものを着想することはなかったし、その後(といってもあと2曲しかないが)も概ね3管編成以上の規模の 管弦楽を交響曲において使ったマーラーの場合、管弦楽配置の規模というのは、それが「交響曲」と 見做されていることの裏づけになる事実であろう。そしてそれは出版譜からさかのぼって、少なくとも ②自筆フルスコアの段階で既に確認できることのようである。

 演奏する現場にとっては大変な難物で、勿論、特に第1楽章のテノールをはじめとして、先ずは歌手にとって 苛酷な作品なのだろうが、聞くところによれば、当然のことながら指揮者にとっても「大地の歌」は 非常に厄介な存在であるらしい。前作の第8交響曲もまた、特にソロを歌う歌手と指揮者にとって は難物のようだが、それとは勿論、技術的な難しさの方向性は随分と異なるものなのであろう。

 だが更に管弦楽版の生成過程について実証的な裏づけをとるべく調査を企てた場合、 上記の調査結果が現在も尚続いているとすれば、とりわけ①自筆管弦楽草稿の第1,2楽章が 所在不明なのが致命的な障碍となってしまうように思われる。

 と言うのも、既に述べた通り、②自筆フルスコアは、例えばDonald Mitchellの"Gustav Mahler : Songs and Symphonies of Life and Death", (The Boydell Press, 2002)などで 確認できるわけだが、上掲の第1楽章冒頭をざっと確認する限り、初版譜との 異同は部分的なもののようだからだ。勿論違いがないわけではなく、例えば、フルートの Flatterzungeがまるまる存在せず、これは更に後の段階で追加されたものらしい。 一方、強弱法の方はトランペットのZungenstoßに付されたデクレシェンドが ないことが目立つくらいで、想定されている管弦楽の編成も変わらないように見える。

 現在所在不明になっている①自筆管弦楽草稿についてもその第1頁だけは、 例えばKurt Blaukopfの"Gustav Mahler oder der Zeitgenosse des Zukunft"に 収められているのが有名であろうが、これを確認する限りでは、以下の点に 留意すべきように思われる。
  • ホルンは4本(譜表上、2段とっているが1,2/3,4の使い分けは②自筆フルスコアの  ように明確ではなく、冒頭は1段目に a 4 で4本の斉奏であることが示されている  ように私には見える。こうした記譜の仕方は、作曲のこの段階では普通のことだと思われる。
  • ②自筆フルスコアでは初めから登場しない、バスチューバやコントラファゴット用の  段が用意され、のみならず当初は音が書き込まれた上で抹消されていて、かつチューバは(第1楽章)全曲通して削除という書き込みが見られることから、この段階で管弦楽配置の重心を上げる作業が行われていることが窺える。(なおコントラファゴットは、第5、第6楽章、チューバは第4楽章では用いられているわけで、全曲通して完全に削除されることはなかった。)
音を削る作業をマーラーがやっていて、次女がそれをみて「私は音符にはなりたくない」 と言ったという微笑ましいエピソードがアルマの回想にあるが、これは1910年 クリスマスの章に出てくる。第1楽章の①自筆管弦楽草稿は1908年8月14日であり、 総じて①自筆管弦楽草稿は1908年段階のもののようだから、マーラーが管弦楽法を どんどん薄くしていく作業は、(アルマの気まぐれで、日付についての実証的な 裏づけには欠ける証言をとりあえず信ずることにすれば)もっと後の段階にも 継続して行われていたものと思わる。更に、そうした細かい改変作業は、 私は未見なのだが、印刷を前提に為されたであろう、③コピイストによるフルスコアの 写譜へのマーラーの書き込みによっても窺うことができるものと想像される。

 以下、上記を踏まえ、何点か感じたことを備忘のために記しておきたい。

  • 上記のアルマのエピソードのところには、マーラーがピアノで大地の歌を弾くという  表現が出てくるのだが、これは「ピアノ伴奏版」なのだろうか、という疑問が湧く。正直なところ、35年も前にこの回想録を最初に読んだ時以来、当然これは自筆のスコアを見て弾いているのだろうと思い込んでいて、ピアノ伴奏版の存在が知られるようになってからも、そちらの可能性は考えたことはなかった。
  • こちらは完全な「たられば」の空想だが、マーラーが「大地の歌」を自分で初演したら、その後の管弦楽配置はどうなっただろう、という点。アルマは中期の交響曲とは異なって、後期作品ではマーラーはオーケストレーションについて迷いがなくなったといったことを述べているが、この点については、私はアルマの考えには与しない。現場の人間であったマーラーは、必ずや、実演に接して、うまく鳴らなかった部分をいじったに違いないと思う。
  • それでは更に進んで、編成を縮小するようなところまで行く可能性はなかっただろうか?もっと大胆に「もし」を続ければ、マーラーが第1次世界大戦後も生き延びたら、ウェーベルンのOp.6におけるような2管編成への縮小とそれに伴う改訂作業のようなものをすることはなかったか。
  • 尤も、シェーンベルクの室内交響曲をマーラーは生前に聴いていて、編成は大きくても、時間的経過の個個の場所での鳴らし方は室内楽的である、というような発想は、 既に、「大地の歌」「第9交響曲」そして不確定ながら「第10交響曲」の遺された姿にもはっきりと現れているのだから、編成自体の縮小ということをマーラーが試みたかどうかは何とも言えないように思う。
  • ただし、クックは4管編成で第10交響曲の管弦楽配置をしたが、マーラーは第1楽章を3管編成で管弦楽配置しているし、「大地の歌」「第9交響曲」も基本は3管編成と言えるので、ショスタコーヴィチのように作品によって大きく編成を変える中で、室内管弦楽編成に近いものをマーラーが採用する可能性はあっただろうと思う。
  • 上記のようなこともあり、私は個人的にはアルマの「交響曲への成長」というのは、  主として①自筆管弦楽草稿より手前でおきたことではないだろうかと、漠然と感じている。というより、以前より漠然とそう思い込んできた、それはアルマの回想録のクロノロジーを無意識に前提としている可能性はあるわけだが、その後1908年の①自筆管弦楽草稿の時点では、既に管弦楽版とピアノ版が並行して存在しているのは実証的に裏付けられていることだから、そうしたことも含めて、①自筆管弦楽草稿以前の段階では、あるいはKindertotenliederのようなものの延長として構想されていたのではなかろうか。
  • しかしこれらは、もっと早い時期のスケッチ(第1楽章は一部残されているようだが)を参照して、他の交響曲と歌曲のそれを比較検討して、というプロセスを踏むことが必要となるのだろうから、「大地の歌」管弦楽版自筆譜に関しては、今のところ一般に公開されている資料はないようだが、いずれ状況が変わったら、調べてみたいと思う。
勿論、こうしたことは既に専門の研究者によって為されていることかも知れず、市井の愛好家の 自己満足に過ぎないものであるには違いないし、専門の訓練を受けていない人間が軽率な判断を下すことは慎むべきかも知れない。だがそれでも、自分の目でマーラーの自筆譜を確認でき、 自分なりにマーラーの創作のプロセスを跡付けることができることは、35年前には想像もつかなかったことであり、貴重なことに思われるし、愛好家であっても具眼の方々であれば、そこから 貴重な識見を導き出すことも可能であろう。残念ながら私にはそれだけの時間も素養もないが、 それでもなお、自筆譜のデジタル化が一層進展し、自由に閲覧できるようになることを願わずにはいられない。
(2015.4.24)
 

2015年4月22日水曜日

逍遥の音楽

 マーラーは散歩が好きであったという。それは今日であれば差し詰めウォーキングと 呼ばれるもののイメージに近く、(ウェーベルンが愛好したような)登山ほどは本格的ではなく、 だが、長時間に渉り、かなりの距離を踏破するといったものであったらしい。 マーラーの時代は、工業化社会の入口にあたっており、鉄道網が張り巡らされ、 写真は当たり前になりつつあり、自転車、自動車が発明され、電灯が灯り始める時期である。 今日もまた類似の現象が見られるように、リゾートブームがあり、健康ブームもあり、 例えば自転車に乗ることは、当時のモードの最先端という一面を持っていたらしい。 マーラーは自転車にも熱中したらしく、書簡集の中には、いわゆる「サイクリング」 友達宛のものも収められていたりする。マーラーがもう少し長生きして本格的な工業化時代まで 生き永らえたとしたら、どうなったであろう。自動車が個人で所有できるようになり、 飛行機が実用化した暁には、マーラーは自動車や飛行機に熱中しただろうか。だが、 結果としてそのようにはならず、現実に遺された作品に拠る限りは、マーラーの音楽は結局のところ、 「私」の歩行のリズムと移ろう風景が織り成す「逍遥の音楽」ではないだろうか。

 マーラーの音楽を聴くとき、そこに逍遥のテンポとリズムが、その中を主体が移動していく 風景が思い浮かぶことは、少なくとも私にとっては、聴き始めの頃からごくありふれた、 当たり前のことであったように思われる。あまりに当たり前過ぎて、あるいはアドレッセンス 特有の性急な熱中の結果として、その音楽があまりに自分の中に埋め込まれてしまったため、 それが音楽的経験として、必ずしも自明なことではなく、マーラーの音楽の受容の仕方としてもまた、 必然でも当たり前でもないかも知れないということに気付くのに、ひどく時間がかかることになる。

 ちょっと反省してみれば、それがかなり強引な写像であることに気付きそうなものであるが、私は 当たり前のこととして、自分が住んでいた地方都市近郊の風景を、マーラーの音楽の風景と オーバーラップさせて受け止めていた。勿論、兵営のラッパの音が聴こえるわけでもなく、 ポストホルンが響くこともなく、レントラーやスケルツォが舞曲として、自分の身体性に 接地した訳でもなく、多くはモノクロであったが、写真等を通して、マーラーがその中で 作曲をした場所の風景を知らなかったわけではない。1世紀と地球半周近い隔たりがあることに 対して完全に無意識であるわけもなく、それが異国、過去の音楽であることに思いが 及ばなかった訳でもない。

 言ってみれば、(そして、これは今現在でも基本的には変化はないのだが、)私は今、そこで 鳴り響いている音楽を通して、自分の生きている世界を眺めようとしていたのだろうと思う。 それが可能であったことの恐らく最も重要な要件の一つとして、FMラジオやLPレコードから 響いてくる「音響」としてマーラーの音楽を受容し、当時は爆発的なブームになる前であったこともあり、 コンサートホールでマーラーを聴くようになる前に、独りで聴く音楽、更に言えば、自分の中で 鳴り響かせる音楽として受容していたということがあるだろう。

 勿論、それ以前の前提条件として、「自然の音」に満ち、それ自体が一つの世界であり、その音楽を聴くことが、 風景の中を逍遥することに近しいだけの空間的な広がりを備えたマーラーの音楽、とりわけても その交響曲作品のありようが与っているのは間違いない。

 だがマーラーがかつて歩いた風景は、1世紀後の極東の島国に住んでいる限り、現実のものとなることはない。 勿論これまでも、マーラーの同時代に撮影された写真によって辛うじてかつての風景を伺うことも できたし、その後撮影された写真によって何年か後の同じ場所の風景を知ることもできた。 更に現在では、Google Street Viewのような手段によって、仮想的にその中を動き回ることも できるようになってきてはいる。

 しかしだからといって、マーラーが居た同じ場所に(100年以上の隔たりと、何よりそこは、 たとえ浮き草のような関わりであってもなお自分が生活している圏ではない、自分にとっては 他者としての、異質な風景であるという消し難い意識を携えたまま)自分が立ってみたいと思うかと言えば、 私に関しては、実はその気持ちが切実な訳ではない。マーラーは第3交響曲を作曲していた頃に、 弟子のブルノ・ワルターに対して、自分の作品の中で表現してしまったから、現実の山を見るには及ばない、 といったことを述べたそうだが、時間と空間の隔たりを、作品を媒介にして辛うじて通り抜ける私のような聴き手は、 まずは専ら作品の中に封じ込められた風景に慣れ親しんできており、その音楽と共鳴する、 (元々のマーラーの文脈とは全く無関係の)私にとっての現実の風景との連想が形成されたりはするものの、 結局のところ私にとって重要なのは作品の中の風景であるということのようであり、つまるところ、 マーラーの意図は、ここでは申し分なく達成されたということになるのだと思う。

 一方でそれが故に、自分が見た現実の風景が、例えば更に1世紀後にどのようなものになってしまうか に関しても無頓着でいられるのであろう。私がその風景の中に都度見出したものは、勿論実際にその風景の 中に存在していたものには違いなかろうが、元はと言えば、それはマーラーの音楽の中に封じ込められた 構造の投影の如きものであって、マーラーの作品が存続する限り、その都度再現可能なものであろうからである。 勿論、他の聴き手ならば、同じ作品から私が見ているのとは 別の風景を読み取ることもあるだろうが、作品の中に封じ込められた風景は、いわば「幽霊」の 如きものであって、「出来事」の痕跡であるとともに、「出来事」の想起の反復を可能にする装置 なのである。それは単にそれがかつてあったという事実を指し示すだけではなく、それがどのようであったかを 再現し、繰り返し経験させるメカニズムなのである。それゆえ、私が最初にマーラーの音楽を聴いたときに 見た風景は、私の経験の個別性を捨象してしまえば、作品が存続する限り、私の有限の寿命を超えて 生き延びて、「出来事」の経験の質を、その都度更新しつつ伝達していくのであって、「幽霊」として、 私よりも寧ろ永続的な存在なのである。

 かつてとは異なって、現実の外の風景は、マーラーの音楽と必ずしも共鳴しなくなってきた。 歩行のリズムは残る一方で、風景は内面にしか残らず、外の現実と一致することはない。 本質的に逍遥の音楽としての身体性を帯びているマーラーの音楽は、バルトークを参照して ヴィニャルが言い当てたように、優れて「野外の音楽」なのであり、更にそれは、時折立ち止まったり、 方向を変えたり、速度を緩めたりということはあっても、奥行や広がりのある外部を持ち、風景の中を 移動していく視点を持ち、外と接する皮膚感覚があり、キネティックな身体性を帯びているが故に、 それを同調的に受容する私もまた、そうした場における動性が持つリズムへと引き込まれていく。 (こういうことは言えないだろうか、同じ風景の中の逍遥であっても、それがマーラーの音楽と ともにある場合と、そうでない場合では歩行のリズムが異なり、結果としてそこに異なったものが生じるのだ、と。)

 他方で、その音楽の中に記憶された風景は、私がその中に住まう現実の風景と、今なお時折、 緩やかな連想によって繋がることがあるとはいえ、決して一致することがないことに、私は気づいて しまっている。作品にアーカイブされた風景というのは、ある種の「記憶」であって、記憶というのは 常に、何かをきっかけに再構成されるものでしかなく、作品は言ってみれば、そうした記憶を、 時代を超え、場所を変え、主体すら入れ替わって尚、再現することを可能にするだけの情報を 構造化して固定化したメカニズムなのである。寧ろマーラーの音楽は、今や現実の風景の孕む 細部のずれをものともせずに、記憶された風景を、一度もそれを過去に経験したことのない主体に対して さえ正確に提示することができるのだと言うべきだろう。

 そしてそこでもう一度、マーラーの音楽の特質として、それが構造的に超越性を孕んでいて、 外部に己を曝すタイプの存在様態のアーカイブなのだということ、つまり外部から到来する出来事の経験の 痕跡なのだということが浮かび上がってくる。同じように優れた音楽であっても、もしかしたら、事実としては 同じような、あるいはより深刻な経験が契機となった作品であっても、常に生じるとは限らない。

 例えば、マーラーのライバルと目されたシュトラウスが第二次世界大戦の経験に基づき作曲した 「メタモルフォーゼン」を思い浮かべて見ればよい。経験の深みと重みに思わず思いを致さずにはいられない、 その凄まじいばかりの圧倒的な力にも関わらず、 この音楽はかつての「英雄」の内側で鳴り響いていて、決して外部へとは向かわない。何物も探し求めるわけではなく、 どこにも行かないし、どこにも辿りつかない。それが端的に感じられるのは、例えばマーラーの再現のあの距離感、 もう引き返せないという感覚と比べたときのシュトラウスの再現の持つ時間性だろう。ここではアドルノの カテゴリを用いれば、「突破」は決して生じない。マーラーの音楽におけるような、超越の瞬間における、 絶対的に受動的な主体の没落が生じることはない。

 マーラーの音楽は、そういう意味で、内面的の表現という意味合いでのロマン主義とは異質なものだし、 外面的な描写、事前に設定された素材としての標題の音化なのでは全くない。他方で、内的なプログラムとしての 標題を云々することで、標題性を救い出そうする志向は、そうすることで「プログラム」という言葉の持つ 意味を毀損して、陳腐化してしまっているのだ。

 音楽作品というのは、それが作品である限りにおいて、何等かの「プログラム」そのものであろう。 音楽作品であればそれは、ある具体的な構造を持った音響を常に同じように構成するための手順書という意味合いで、 すべからく「プログラム」である。(一定の情緒を喚起することを意図したムード音楽はその最たるもので、 それゆえマーラーはしばしばそのように捉えられがちなのだろう。)その上でマーラーの作品=プログラムの特性はと言えば、 それが外部から到来した出来事の経験の反復、超越の経験の再生のための形式的条件を記述した手順書という意味で、 プログラムなのであって、「内的」という言葉で尽くされるようなものではない。寧ろそれは強い 行為遂行性を帯びていて、そこで再現される経験は、ある種の儀礼の如きものに近接する。 寧ろ行動への誘いなのであり、もしかしたら(まさにそのために書かれた筈であるにも関わらず)、 コンサートホールでの演奏会という制度の枠に、防音設備で外部から隔離され、数時間の間、 「芸術鑑賞」というかたちで日常から隔離された環境での「美的感動」には収まりきらず、そうした閉域に 閉じ込められることを拒絶するような類のものかも知れないのだ。丸山桂介が、「隠れたる神」において 示唆しようとしたことは、結局のところ、こうした消息なのではなかろうか。

 マーラーの音楽作品は、超越の瞬間における、絶対的に受動的な主体の没落の記録なのであり、 しかもそれは過去に起きたことを事実して記録するのではなく、まさにそうした瞬間にこそ何者かが到来し、 「来たれ」と主体に対して呼びかけるという構造を封じ込めてあり、そうした経験を再現するための メカニズムなのである。それは「外部」を呼び起こし、その作品を受容する主体を外部への連れ出すのだ。 マーラーの音楽のそうした構造は、それを普遍的なものと呼ぶことはできまいが、個別の経験ではなく、 経験の構造を、経験主体の構造とその構造がもたらす宿命を定着したものとして、自伝的自己を備えた 自己意識を持つ主体のプロセスの痕跡であり、そうしたプロセスを可能にする形式的条件を プログラムしたものなのである。

 従って、マーラーの音楽に導かれて逍遥することはある種の巡礼であるけれど、それは、 (もちろんそれも意義あることではあろうが)1世紀前にマーラーが実際に見た同じ場所を1世紀後に 訪れて再認することではなく、作品が再現する経験の構造を自らの行動に引き込むことによって マーラーが探した何かを、同じように探すことに他ならず、そうした「出来事の到来」を可能にする 構造を備えているがゆえにそれは「巡礼」たりうるのだ。マーラーの音楽はコンサートホールでの 消費を目的としたものではなく、マーラーがその中を生きた環境の追体験でもなく、寧ろコンサートホールの 外に出た後の主体の行動の様式の変容を強いる類のものであり、「来たれ」という他者の呼びかけに 応えて赴くことへの誘いなのだ。そしてそれゆえにこそ、マーラーの音楽は、自伝的自己を備えた 自己意識を持つ主体の生きる時代の中にあって、ベイトソンの言う意味合いでの「無意識のエクササイズ」に 相応しいものなのではなかろうか。(2015.4.22/23/24)

丸山桂介「隠れたる神 第九交響曲の「アダージョ」に寄せて」より

丸山桂介「隠れたる神 第九交響曲の「アダージョ」に寄せて」(in 「音楽の手帖 マーラー」(青土社, 1980))より

(…)
 マーラーの音楽、なかでもとりわけ第九終章の「アダージョ」を聴いていると、 ときに私は自分の存在の無限のはかなさを感じる。 そこでは生の意味が徹底的に懐疑され、 ほとんど耐え難いほどの世界苦にマーラーの魂が呻吟しているのが余りにもはっきりと私に伝わってくるからである。 彼の苦悩する精神の現実が私の内に浸透し、私をゆり動かし、共苦させるのである。 マーラーの音楽が、日本のこの現実に生きる私達にも深い感動を呼びおこすのは、 孤独な魂の叫びが私達の存在の基盤をゆさぶるからではないだろうか。 十九世紀末の時代精神に根をおろしたマーラーの芸術は、 その意味では時空を超えているといえるかもしれないが、 私にはしかし彼の音楽ははるかに遠く、歴史的時空との関わりを超越したところに立っているように思われる。 この歴史的現実を超越することによって、かえって私達の現実にもあてはまる存在の懐疑を彼の音楽は私達にもたらすのである。
(…)
 マーラーの作品はつまるところ音響態でしかないかもしれないが、しかしその音の響きを背後から支えているこのような 彼の創造理念が私達にも感動を与えるのだといえるだろう。クーベリークも来日時に、第九は終章にさしかかるとそれまでの暗雲が 切れて突然のように青空が拡がり、天使が舞い降りてくるといっていた。もちろんマーラーの音楽を聴くのに天使はいらない といえばそれまでだろう。日本では、あるいはそのような受け取り方がなされていることの方が多いかもしれない。 だが芸術においては、その人間が信じているものは表われるのだ。或る人間が捉え、理解し、自分のものとして身につけているものが表われる。
(…)
 既にニーチェが指摘しているのであれば、マーラーの時代にも彼を取り囲んでいたのは神の殺害者であったといえるだろう。 そのなかにあって、彼は神を探し求めた人間のひとりであった。 もちろんルターやバッハにおける隠れたる神と、マーラーにおけるそれとは意味を異にしてはいただろう。 それに実際にヨーロッパの歴史を通じて、キリスト教とユダヤ教がどのような関係にあったのか私には詳らかでないし、 おそらくマーラーにあっても、ニーチェと同様神は超越者一般を指してはいただろう。 ニーチェの「ツァラトゥストラ」の「酔歌」とマーラーの音楽における明るみの、 不思議なほどに一致する感覚の質がそのことを何よりもよく証しているように思われる。 だがそれにもかかわらず「ヨーロッパ文化への入場券」を買うものは、隠れたる神を探したものの仲間に加わらざるを得ないのだ。 何となれば、おそらくはヨーロッパなるものの本源はそこにしかないからなのだ。 しかも神を探すものは、しばしば周囲から嘲けりを受ける運命にあるようにみえる。 マーラーもまた超越者に関わることによって、社会的にも叩きのめされたのではないか。 仕事のうえでのまさつは、彼がユダヤ人だったからであると同時に、 彼が超越者との関わりを芸術の領域に持ちこんで、 周囲の人間には容易に見えない高邁な理念にしたがってことを運ぼうとしたからである。 マーラー自身は、たしかに隠れたる神としての意識をそれほど明確には持っていなかったように思われるけれども、 結局彼もヨーロッパの根源に掉さすことによって、究極的には神の不在の問題に還元されることになる、 人間の生への深い反省や死との対峙を余儀なくされたのである。 彼も本質的に何かを求め探していた人間だったのだ。 だからこそときに烈しく叩きのめされながらも、いや、かえってその故に、 苦難の最中に数々の作品を創造し得たのではなかったのだろうか。
 マーラーの「アダージョ」のような作品には、温かい明るみが満ちていると同時に、 私にはまた一方でそこにはしんしんとした孤独が介在しているように思われる。 物狂いの人にのみつきまとっている、これは存在の孤独とでもいったらよいものだろう。
 たしかに私達の多くは神の不在にも、神の存在にも関わりをもたない幸福な生活を営んでいるようにみえる。 だがそのような、いわば生なき生の最中にあっても、 マーラーの音楽は突然のように私達に人間の何であるかを開示してみせるようだ。 私達はそれ故に感動し、またそこに社会的疎外感などが加わることによって、 感動はいっそうその振幅をおおきくするのである。 けれども、私達は、というより私はというべきかもしれないが、 その感動を感動として、つまり現実の生活から切り離された次元において、 芸術の鑑賞領域における感動として受け止めているが故に幸福な生活が送れるのかもしれないのだ。 もしマーラーの音楽に真に感動したならば、その人はおそらく何かを探しはじめるだろう。 そしていまの私には、決して不可能であるとはいわないまでも、 そうした何かを探求しつつ生きる生活は、当面日本の現実と決定的に相容れないもののように思われるのである。


 丸山桂介の上記の文章に出会ったのは、今から35年前に、音楽の手帖「マーラー」(青土社, 1980)に 掲載されているのを読んだときのことであるが、私見では、日本語で書かれたマーラーを巡る文章の中でも 群を抜いて、圧倒的で永続的な印象を与えられた文章であり、今尚読み直しても、その内容は聊かも古びて いないと思われる。バッハとベートーヴェンの研究者として知られる著者がマーラーを扱ったという点で、 マーラーの文脈ではマージナルな存在かも知れないが、時代を隔てて日本でマーラーを尚、聴くことの意義を 示しているという点では際立った内容だと思う。

 その内容をきちんと受け止めて、それに相応しい文章を書くだけの余裕が、残念ながら今の自分には 無いのだが、最小限の応答として、その内容について若干のコメントを記して後日に備えたい。

 著者は「彼の音楽ははるかに遠く、歴史的時空との関わりを超越したところに 立っているように思われる。」と述べているが、これは「隠れたる神」が 問題になりうる意識様態の構造というのが、ある特定の文化的・社会的文脈の 更に特定の時点の環境に依存したものではないという点では正しいが、 にも関わらず、権利上、如何なる歴史的時空との関わりを超越したものである という意味合いではありえないだろう。

 時間を超えることは端的に不可能であって、作曲者の死後も生き永らえている マーラーの音楽とて、時間を通って存続し続けることで辛うじて永遠に漸近すると 言いうるに過ぎない。それは社会的・文化的な場の歴史的連続性を超えて、 (恐らくは幾分の誤解とともに)1世紀後の極東の島国で受容されているが、 それが、ジェインズ的な意識の考古学におけるホメロス以前の意識の構造にまで 及ぶものなのか、あるいはカーツワイルのような特異点論者の主張する特異点の 向こう側にまで及ぶものなのかは、自明なこととは言えないだろう。

 進化生物学的な意識の発達史、あるいはジェインズ的な意識の考古学と、 カーツワイルのような特異点論者の主張する特異点の向こう側の 両方を収めた展望の下では、「隠れたる神」の問題はやはり、 それ自体歴史的な存在である、ある種の意識様態に固有の問題であろうし、 最も外延を広くとっても、遺伝子の搬体としての生物個体の中で 自伝的自己を伴う自己意識を備えた者に固有の問題であろう。

 超越性というのは、そうした存在様態固有の認知パターンなのだし、 そうした認知パターンにおいてのみ「隠れたる神」が問題になりうるのだ。 (ただし必要条件であって、十分条件ではないが。) 神を探すことが成立するためには、単に自伝的自己を伴う自己意識を 備えているだけではなく、そうした構造を把握し、境界に身を置かなくては ならないのだろう。カントのいう、アンチノミーに悩むことを宿命づけられている 「理性」が必要なのであり、そうした「理性」が生じるような場所でのみ、 「隠れたる神」が問題になりうるのだ。

 勿論それは、西欧固有のものに過ぎず、極東の島国ではア・プリオリに 禁じられているというわけではない。例えば北村透谷が1世紀前、(奇しくも彼の生涯は マーラーのそれにすっぽりと覆われてしまっていて、なおかつお互いに因果的な過去・ 未来に住んでおらず、知り合うことがないという意味において、 本来の意味での「同時性」が成立しているのだが)マーラーの同時代の 日本に生き、やはり或る意味において「ヨーロッパ文化への入場券」を買い、 当時の日本にあっては(もしかしたら、現代の日本においても未だなお) 例外的な出来事であったかも知れないが、彼なりの展望において「隠れたる神」を 探し求めたことが思い浮かぶ。

 「もしマーラーの音楽に真に感動したならば、その人はおそらく何かを 探しはじめるだろう。」というのは全くその通りだと思う。 だが何かを探求しつつ生きる生活の不可能性は、 「当面日本の現実」と「決定的に相容れない」だけでなく、 常に既に、何時の時代の何処の文化的環境においてもそうではないのか? また、マーラーがユダヤ人であったことは、リーの指摘するように、 彼が西欧の社会における「マージナル・マン」であるための原因の一つで あるだろうし、具体的なその様態を捨象することは (ここで問題になっているのが音楽作品という感性的なオブジェクトで あることを考えれば特に)できないだろうが、にも関わらず、 唯一の原因ではないし、従って「隠れたる神」の探究に至る唯一の 原因ではないだろう。

 寧ろ、マーラーの音楽が鳴り響く文化的環境に生を享け、 ふとした偶然からある日マーラーの音楽を聴いた子供は、その「出来事」を介して、 「隠れたる神」の探究に誘われるのであり、それは恐らく、 自伝的自己を伴う自己意識を備えている存在(それには全ての「ヒト」が 含まれるわけではないかも知れないし、逆に「ヒト」以外の存在が そこに含まれえないと決めつけることもまた、できないだろう)であれば 潜在的に持ちうる可能性であり、それが現勢化するかどうかは、 「出来事」の到来という偶発時にかかっているのだし、逆に一旦 そうした「出来事」が到来してしまえば後戻りはできないのだろう。

 著者は「しょせんは音響態に過ぎないかもしれない」としても「芸術」に おいて、「或る人間が捉え、理解し、自分のものとして身につけているものが 表れる」と述べているが、これも全くその通りだろう。ただしその如何にしてを 考えたとき、それは作品の素材に過ぎない標題性などとは別の水準で可能になって いることには留意すべきであろう。作品は(マーラー自身、晩年に妻に対して 書いたように)「抜け殻」に過ぎないだろうし、「出来事」の経験についていえば、 その痕跡に過ぎないだろう。だが一回性で反復不可能な到来としての「出来事」は その痕跡であるところの「作品」なくしては、記憶され、想起され、 反復され、継承されえないのだ。「出来事」の主体の有限性を超えて、 死後の生命を獲得することはできないのである。

 作品は活動プロセスの痕跡であり、その定着には記号化・離散化・ デジタル化が不可避である。化石がそうであるように、響きそのものではなく、 響きのパターンが記録される。それは「抜け殻」(マーラー)かもしれないが、 自己を超えて生き延びることとは、そのようにしか可能ではない。 見方を変えれば、そうすることによって生物個体としての有限性を 超えて、遺伝子の複製とは異なった水準での、個体の記憶の継承、一回性の 「出来事」の記憶の継承という「反逆」(ダマシオ『自己が心にやってくる 意識ある脳の構築』)が 可能になるのだ。それは「抜け殻」であると同時に、(マーラーが、これはゲーテの 「ファウスト」第1部の地霊の台詞を引用して述べるように)「神の衣」でもあるのだ。

 我知らずして、いわば盲目的に神の衣を織るためには、自伝的自己を 伴う自己意識は必ずしも必要ない。だがある価値にコミットして、 己の出遭った価値あるものの(漸近的な)永続化をめがけ、 そうした出遭いという一回性の出来事を記憶し、出来事の一回性を超え、 自己の有限性をも超え、他者に向けて継承することを目指して、 作品としてデジタル化する意図をもって「衣を織る」ことは、 自伝的自己を伴う自己意識なしには為し得ない。

 そして、そのことを「作品」を聴くことによって感じ取るのもまた、 自伝的自己を伴う自己意識なしには為し得ないだろう。否、実際には、 マーラーの音楽を聴くという経験が、意識がある様態を持つように自己 形成することに寄与している筈なのであって、それ自体が或る種の 文化的複製子(ミーム)なのである。自伝的自己を伴う自己意識が 取りうる或る種の意識の様態、超越性、外部からの到来に対する応答と いった出来事が生じるような様態を伝播させる搬体がマーラーの 音楽作品という文化的複製子だ、というわけである。

 それはある種の 共進化の如きものとして捉えることができるのかも知れないが、 それよりも私にとって興味深いのは、マーラーの作品の構造が持つ、 意識の様態との構造的な類似性である。マーラーの音楽は、ある種の 意識の様態を別の素材を用いて物質化して定着させたかの如くであり、 それ自体は「生きて」はいなくとも、生がどのような構造を備えて いるかは、それによって推測できるような構造物であり、その限りで カールハインツ・シュトックハウゼンが、宇宙人が「人間」のことを 知ろうと思ったら、マーラーの音楽を調べれば良いといったのは (勿論、その「人間」は、生物学的な意味でのヒトのことではなく、 広くとってもジェインズのいうヒュポスタシス以降、カーツワイルの 特異点以前のエポックの、自伝的自己を備えた意識を持つ存在という ことになろうが)、それなりに正しい直感に基づく発言なのではと思われる。

 マーラーの音楽は、優れて「意識の音楽」であり、マーラーの音楽自体が、 自伝的自己を伴う自己意識の「時代」を証言し、その構造を映し出し、 その宿命を示唆する存在、つまり自伝的自己を伴う自己意識の自己認識の 結果であり、尚且つ、そうしたマーラーの音楽を聴き、それによって自己を 形成し、その上でそれについて証言することは、そうしたマーラーの音楽に 対するコミットメントとしての行為遂行性を帯びており、それは自伝的自己を 伴う自己意識の自己の宿命に対する或る種の「反逆」に対するコミットメント でもあるのだ。

 それをマーラー音楽というミームの詭計と捉えることも できるだろうし、そうした見方にも一部の理はあるだろうが、もしそうであると するならば、更に一歩進んで、マーラーがこのような音楽を創造したこと自体もまた、 或る種の宿命であり、仕組まれたものなのだということになるだろう。著者の言うように、 マーラー自身が「来たれ」という呼びかけに応答すべく、作品を創造したのだが、 今度はその(作曲者が、ではなくて)作品自体が、聴き手に対して「来たれ」と 誘うことになる。

 ここで、シェーンベルクのプラハ講演における第9交響曲に関する コメントを想起してもいいだろう。曰く、作曲者はメガホンに過ぎず、その背後に 真の主体が居るといった見方は、まさにここで問題になっているような構造を 言い当てたものに違いない。その主体はまた、第8交響曲の2つの「来たれ」の 命令を発した存在なのだが、それは一体誰なのか。

 進化論についての論争でもそうであるように、そうした詭計を仕組む者を 「神」と呼ぶ立場もあろうし、「隠れたる神」がそうであるように、寧ろそうした 立場こそが伝統的、正統的な立場なのであろう。だが今日であれば、それは或る種の 自己組織化の結果、創発的な現象と見做すべきではなかろうか。マーラーの音楽を 19世紀末の西欧という、歴史的・文化的環境に還元して理解するのではない、別の可能性がここには 開けているように思われる。「神」や「天使」という語彙ではなく、だが、 超越を、出来事の到来を語る別の語彙が必要なのではなかろうか。 神を殺すのではなく、その後の時代に相応しい「隠れたる神」を探す別の仕方が ここでは問題になっているのだ。ドイッチュの言う「無限の探究」もまた、 そのような試みの一つなのだと私には思われる。

 神経科学の発達で脳のメカニズムが少しずつ解き明かされ、 意識についての語り方が変わりつつある今、それは、別の仕方で説明し直されることを 求めているのではなかろうか。そしてそれは、まずもってマーラーの音楽を 狭義の音楽学の語彙によってではなく、或る種のシステムとして捉えること、 狭義の美学の語彙によってではなく、情報の観点から捉えることによって可能に なるのではなかろうか。そしてそれはマーラーの音楽を、それ自身そのように 志向していたように、狭義での「芸術」の閉域の境界において考えることを 求めているのではなかろうか。マーラーの音楽はベイトソンの言う 「無意識のエクササイズ」なのであり、超越的なものへの開け、出来事の到来を 記録したアーカイブであり、カーツワイルの言う特異点の手前に居る人間にとって、 差し当たり特異点に達するまでの間は少なくとも意義を持つものに違いないのだから。

(2015.4.22/24)