2009年5月31日日曜日

戦前のマーラー演奏の記録を聴く

マーラーの音楽が今日かくも普及することについてLPレコードやCDといった録音媒体の発達の寄与があったという主張が、とりわけ音楽社会学といった 研究領域の研究者からよく聞かれるのは周知のことであろう。だがマーラーその人は1911年に没しているため自作自演といえば、ピアノロールに遺された 歌曲3曲(うち1曲は第4交響曲のフィナーレである「天上の生活」)と第5交響曲の第1楽章のピアノ演奏しかない。否、時代を代表する指揮者でありながら、 自作自演のみならず、一般に指揮者としての演奏記録は残されていないようだ。

その一方で生前のマーラーを知る人による演奏記録は少なからず遺されている。その代表は恐らくヴァルターとクレンペラーということになるのだろうが、 それは第二次世界大戦後、録音技術が飛躍的に向上して以降も彼等が演奏活動を続け、今日でも特に「歴史的録音」としてでなく、多くの選択肢の中の 一つとして彼等の演奏が聞かれ続けていることに拠る部分が大きいだろう。その一方で、マーラーの生前からマーラーの作品を取り上げ、程度の差はあれ マーラー自身からも評価されていたメンゲルベルクやフリートの方は、理由こそ違え第二次世界大戦後は活動しなかったから、その記録は限定されてしまう。 フリートであれば、世界初のマーラーの交響曲の録音となった1924年の第2交響曲の演奏が、メンゲルベルクであれば1939年9月の第4交響曲の演奏が 記録として残っていて現在でも聞くことができる。それらは録音技術の制約もあって今日の録音と同等の聴き方はできないだろうが、その一方で、「時代の記録」と いった資料体、晩年にニューヨークに住むアルマを訪れたインタビューや、ニューヨーク時代のマーラーについての楽員の思い出を録音した記録などと同様の ドキュメントであると考えれば、また少し違った聞き方が可能だろう。そしてそうした立場に立てば、ヴァルターにしても1936年5月の「大地の歌」、 1939年の「第9交響曲」の録音は、ドキュメントとしての価値は計り知れないものがある。

否、そうした交響曲の著名な録音に限らなければ、そうしたドキュメントのリストはまだ続けられるし、もう少し遡ることすら可能なようだ。レーケンパーが ホーレンシュタインの伴奏で歌った「子供の死の歌」の1928年の演奏はあまりに有名だが、それ以外にもやはり時代を画する歌手であったシュルスヌスの 「ラインの伝説」「少年鼓手」の1931年の録音があるし、ソプラノのシュテュックゴルトの歌唱には少なくとも1921年迄遡るものがある。(もしNaxos盤記載の通り、 15年頃まで遡るとしたら、これは大戦間ですらなく、第1次世界大戦前、マーラーが没してからもまだ数年という時期のものということになるが、彼女の キャリアなどを考えると1915年説には疑いがあるようだ。)また時期は1930年とやや下り、年齢的にも最盛期は過ぎた時期の録音で、 演奏そのものに対する世評は一般には高くないものの、シャルル=カイエが歌った 「原光」「私はこの世に忘れられ」は、彼女が1907年にマーラー自身によってウィーン宮廷歌劇場に招かれ、短期間ではあるがマーラーの下で歌った ことや、1911年11月20日のミュンヘンでの大地の歌初演をワルターの下で歌ったことを思えば、その記録の意義は計り知れないものがあろう。 ワルターのピアノ伴奏での歌曲やワルター指揮のニューヨーク・フィルとの第4交響曲の歌唱の録音があるデジ・ハルバンが、これまたマーラーが宮廷歌劇場に 呼び寄せたあのゼルマ・クルツの娘であることも付記すべきだろうか。

だが、それらの録音を聴くと、音質の制約の壁を超えてこちらに届くものが確かにあることに否応無く気づかされる。否、もっと端的に、それらの記録の幾つかを 聴くことによって得られる感動は、ドキュメントとしてのそれを超えたものがあることを認めざるを得なくなる。例えば「私はこの世に忘れられ」を、「大地の歌」の 初演者であるシャルル=カイエの1930年の歌唱、1936年にワルターの下で歌ったトールボリ、そして1952年にやはりワルターの下で歌ったフェリアーと聴いていくと、 それぞれの歌唱の素晴らしさに圧倒されてしまう。その感動の深さは、ずっと自分の生きている時代に近い他の録音に劣らないばかりか、もしかしたら それに優るのではとさえ思えてくるほどなのだ。

とはいえ、トールボリの歌唱を含め、ワルターのアンシュルス間際の演奏は、戦前の日本にも輸入されたSPレコードによって知られており、レーケンパーの「子供の死の歌」も またそうであったようだから、それらを知っていた人にとっては格別の思い入れがあるに違いなくとも、私にはそうした思い入れは持ちようがない。1980年代の マーラーブームの頃には、戦前・戦中の日本におけるマーラー受容の様子が知られるようになったり、近衛秀麿の第4交響曲の録音が復刻されたりしたが、 自分がその末梢に位置することは否定しようのない事実であったとしても、だからといってそうした過去と自分が、マーラーを経験することにおいて繋がっている とは思えなかったし、今でもそうは思っていない。日本マーラー協会の会員だったのだからそうしようと思えばもう少しそうしたルーツ探しだってできた筈なのだろうが、 当時の私は全くそうしたことに興味がもてなかった。近衛秀麿の演奏に世界初という記録以上のものを聴き取ることはできなかったし、あるいは例えば戦前・戦中の マーラー演奏と接点のあった日本マーラー協会会長の山田一雄さんの演奏を聴くこともなかった。現在私の手元には1938年3月と1941年1月、 それぞれローゼンシュトック指揮による第3交響曲と「大地の歌」の定期演奏会の時の新交響楽団の会報「フィルハーモニー」があるが、 それらが資料として持つ意味合いを超えるものは何ひとつとしてなく、懐古趣味の対象になどなりようがない。そこに自分が 連なる伝統を見出すことなど、少なくとも私にはできない。そう、寧ろ端的に、それは私が聴いた、私が今聴いているマーラーではないと言いたい気がする。 しかも2つの異なった意味合いで。一つには、現在私がいる時点からの時間的な隔たりにおいて。もう一つには、当時の日本におけるマーラー受容のあり方に対する 奇妙な違和感、つまりそちらの方には逆向きの(つまりもっと自分に近い時点との比較において)デジャ・ヴュが伴うように思えるという点において。要するに同時代性が 文化的な距離を無効にすることはなく、寧ろその点では時代による変化というのがあまりないように感じられるという点において。

だがその一方で、あるいはそうであるだけに、例えばレーケンパーの「子供の死の歌」から受け取ることができるものは、私にとって時代の隔たりを超えて 伝わってくるものなのだ。ワルターの戦前の演奏、特に「第9交響曲」のそれについては当時の時代の危機的状況の記録といった側面が強調されることが多いが、 寧ろ私が思うのは、その時の演奏者の中にはマーラーの指揮の下で演奏した経験のある人が少なからず含まれたに違いないし、その録音から辛うじて聴き取れると 私が感じるものには(あるいはそれは勘違いや思い込みだと言われるかもしれないが)、マーラーの作品が産み出された時代と地続きであるが故の、半ばは演奏様式と いった形で伝統として定着した、だが残りは蓄積された記憶に基づいたほとんど無意識的な親和性があるように思えてならないのである。それは現在の私とはとりあえず全く 隔たった時代と場所の記憶であり、私にとってはマーラーが如何に自分から遠い存在かを否応無く確認させられることになる。演奏技術は向上し、録音の技術も 向上したかも知れないが、「マーラーの時代が来た」などといったキャッチフレーズが如何にお目出度い遠近法的倒錯に基づくものであるかを私は感じずには いられない。寧ろマーラーの時代はとっくに過ぎているというべきなのではないのか。

その点に関連して、もう一つ思い当たったことがある。ワルターの第9交響曲やフェリアーの「私はこの世に忘れられ」を聴いて、私は何となく、バルビローリが ベルリンフィルを指揮した1964年の第9交響曲やベイカーがバルビローリの伴奏で歌った「私はこの世に忘れられ」(これには1967年のハレ管弦楽団のものと、 1969年のニュー・フィルハーモニア管弦楽団のものがあるが)を思い浮かべたのだ。バルビローリは1899年生まれといいながら、イギリスの指揮者であり、 大陸のマーラー演奏の伝統とは直接関係がない。強いて言えばフルトヴェングラーのいわば代役のような形で引き受けたニューヨーク・フィルハーモニックとの関係に 寧ろ接点があるかも知れないくらいなのだが、それではそのバルビローリの指揮で第9交響曲を演奏したときに当時のベルリン・フィルの奏者をあれほどまでに感動させたものは 何だったのか。当時のベルリンには聴き手のうちにも奏者のうちにも戦前の記憶をもつ人がいた筈であり、1960年代にもなって、しかもドーバー海峡の向こうから やってきたイタリア系の指揮者が、そうした記憶に繋がるような演奏をしたことに驚いたといった側面が必ずやあったに違いないと私は思う。勿論、バルビローリと ベルリン・フィルの演奏を戦前の伝統なり記憶なりの継承であるということはできないだろうが、しかし更に半世紀近く後の現在から眺めれば、バルビローリの 演奏もまた過去のものとなってしまったという感覚は拭い難い。結局のところマーラーと現在との距離はちっとも縮まっていかない。寧ろ、ある時期にマーラーの 受容が一気に進んだことによって、逆説的に今度こそマーラーは決定的に過去の存在になってしまったとさえ言いうる気がしてならない。

そしてそうした展望において、三輪眞弘さんの言う「録楽」としてのマーラーの演奏記録を聴くことに、或る種の逆転が生じているように私には感じられる。 戦前の演奏を「録楽」で聴いたからそこに「幽霊」を見出したのではないかという論理の筋道はここでも正しいのだが、その一方でそれは私にとって 予め「幽霊」でしかありえないものなのだ。現代の演奏を遙かに優れた録音・再生技術によって「録楽」として享受するのと、そうした経験の間には 無視できない差があるように思えてならない。権利問題としては確かにそれもまた「代補」なのだが、事実問題としては「代補」としてしか最早存在し得ない。 そして時代の隔たりを感じつつ、にも関わらず、その隔たりを超えてやってくるものは、今日のコンサートホールで繰り広げられる技術的精度においては遙かに優れた 演奏では、或いは今日の遙かに進んだテクノロジーに支えられた録音で聴ける演奏では替わりが利かないもののようなのだ。やってくるものが或る意味で時代を 超えているのだとしたら、一体どちらを「幽霊」と呼ぶのが相応しいのだろう。勿論私は「歴史的録音以外には価値が無い」とは思っていない。作品を把握するには 歴史的録音では限界があるのははっきりしている。歴史的録音の裡にのみ本物があるといった言い方を私は断固として拒絶する。私が言いたいのはそういうことでは ないのだ。そうではなくて、マーラーのような過去の音楽の場合、しかもその音楽が産み出された時代やその時代に陸続きの時代の「録楽」が遺されているような 場合には、それらを現代における「録楽」と同じように聴くことがとても難しいことになるということが言いたいに過ぎない。

それは一般論としてはマーラーだけの問題ではないかも知れない。だが、私個人について言えば、恐らくそれはマーラー固有の側面が非常に色濃いのではないかと 思っている。勿論私がマーラーその人に興味があるのは、このような音楽を遺したからで、そこには逆転はない。だが私は結局のところ、そうした作品を産み出した マーラーその人を探しているのだと思う。作品はマーラーその人の「抜け殻」、それもまた「幽霊」ではないのか。だからといって書簡をはじめとするドキュメントの 方にこそ「本物」がいるとも思っていないし、やはり「本物」は「作品」を通してしか出会えないと思うのだが。 (2009.5.31/9.26)

2009年5月24日日曜日

今更、どうしてマーラーなのか

今更、どうしてマーラーなのか、という問いは二重の意味で現在の風景に馴染まない、アナクロニックなものに見えるかも知れない。 一方ではマーラーの音楽はコンサート・レパートリーの重要な部分を占めているし、マーラーの同時代の音楽は勿論、それ以後の過去の音楽 (20世紀に「現代音楽」と呼ばれたジャンルも含めて)も、逆にマーラーより前の音楽も、ある意味では分け隔てなく演奏が行われ、聴取が行われている。 アーノンクールが指摘するようにそうした風景が歴史的にみて異様なものであったとしても、「今更」という問いは、そうした展望の下では最早 相応しくないかのようだ。一方で、同時代性からの展望は全く異なるだろう。1世紀のうちに生じたパースペクティヴの変容によって、マーラーの音楽は 恐竜の如く、既に過去の遺物であるかのようだ。とりわけケージの名前に象徴される音楽の定義の見直しの後の風景の中で、マーラーの音楽は はっきりと過去の制度の制約をあまりに強く受けすぎていて、最早「使いみちのない」ものに見えるかも知れない。もっとも、断絶を強調するような こうした見方は寧ろかつて20世紀のある時期まで優勢であったもので、ポスト・モダンの今日は最早「何でもあり」なのだとすれば、最初の問いはもう一度、更に 三つ目の意味合いでナンセンスだということになるのかも知れないが。もっとも、上記の2つないし3つの「理由」は、一般論として思いつきはしても、 私にとって等しく説得力を持つものではない。私が特に関心があるのは、2つ目の立場、同時代性からの展望である。「マーラーの時代が来た」という声の 一部に恐らくは意識的に、あるいはまた無意識的に含まれるであろう、マーラーの音楽は最早時代を超越しているのだ、それは普遍的なのだというような 見方は私には到底受け容れ難いし、だからといって「何でもあり」の時代だからマーラー「もまた」いいではないかと思っているわけでもない。 クラシック音楽を自明とする立場にありがちな前者の考えこそ時代錯誤も甚だしくて、そうした距離感や自分の立ち位置の意識が欠落した評論、 解説の類にはいらいらさせられるし、その一方で私は基本的には偏狭な人間なので「何でもあり」の一つとしてマーラーに接しているわけではない。 寧ろ共感でき、戸惑い無く聴ける音楽は非常に限定されているといって良い。そもそも偏狭である以前に時間の制限や能力の限界もあって、そんなに色々なものを 相手にするのは無理なのだ。

私は音楽を職業としていないので、あくまでも自分の生業とのアナロジーによる想像に過ぎないが、例えば音楽の創作の現場に自分が居たとすれば、 マーラーの音楽に対して現実に今そのように接しているように接することはありえないだろうな、という気はする。端的な言い方をすれば、自分がもし 音楽を書くとしたら、マーラーのような音楽は書かないだろうということだ。マーラーは結局のところ過去の別の文化に属する他者であって、 同じ位置に自分を置くことはできない。だから、一見矛盾しているようではあっても、同時代の営みの中で私が関心を持つのは、マーラーの音楽とは 一見して全く関係の無い、寧ろ、そこからは最も遠く隔たっているかに見えるような類の試みなのである。自分でも何となく腑に落ちないのだが、 同時代の誰かがマーラーのような音楽を書くことに対しては明確な拒絶反応があるようなのだ。ほとんどナンセンスに等しい乱暴な仮定であることを 承知で言えば、もし現代にマーラーが生きていたら、彼が書いたのはあのような音楽ではなかっただろうとも思う。こんな仮定を積み重ねることに さしたる意味はないだろうけれど、今日マーラーのような音楽を書くことは、マーラー的なメンタリティに反するとさえ言えると思う。少なくともマーラーが 持っていて、その音楽として具現している或る種の志向、私にとって、そのためにマーラーを聴き続けている何かを現代の日本で展開しようとすれば、 全く異なった相貌の音楽になったに違いない。そういう意味では、時代の制約によって音楽が身に纏う意匠というのは、実は「抜け殻」(マーラー自身が 晩年のある書簡でこういう言い方をまさにしている)に過ぎないのではという気さえする。ありていに言えば、似たようなスタイルの全く異なった実質の 音楽が山とあるのは、多分いつの時代でも同じだろう。私には後期ロマン派の音楽が好きです式の括り方ができるというのが信じられないのだ。 (もっとも、現在からの距離感というのが存在しないわけではないから、後期ロマン派以前の音楽をどう聴いたらよいのかわからない、といったことは 起きるのだが、だからといって、後期ロマン派なら何でも良いことにはならないだろう。) 同様にアルゴリズミック・コンポジションなら何でもいい、あるいは力学系やオートマトンを使っていればいいというわけでもないのは当然のことである。 その結果、今度はミニマル系が好きですとか、ノイズ系がetc.の括り方に抵抗を覚えることになる。だがだからといって、意匠がどうでもいいかといえばそんなことはない。 与えられた環境、文脈に応じて、妥当な選択というのがある筈で、それが19世紀末のウィーンと21世紀の日本で同じであるわけがないだろう。

だが、だったらもう一度、今更、どうしてマーラーなのか、という問いに立ち戻らざるを得ない。今日の創作の現場ではありえない選択肢だと言っておきながら、 1世紀の時間と文化的な隔絶といった距離感を感じつつ、それでも何故マーラーの音楽がこのように力を持っているのか。今や、始まりと終わりがあること、 組曲形式、オーケストラという媒体を用いること、コンサートホールという場での演奏を前提としていることといった、ある領域の内部では自明と見なされている事柄すら、 より広い展望の下では最早とっくに自明ではなくなっているというのに。勿論、マーラーの音楽のプロセスはそれが下敷きにしている古典的な形式のそれではないし、 組曲形式の持つ意味もすっかり変容している。あるいはまた、今やそれはコンサートホールで演奏される「音楽」であるよりも多くCDのような媒体に収められた 「録楽」であるかも知れない(少なくとも私自身については)。最後の点に関連する点で最近よく思うのは、一時期よく言われた「マーラーの時代が来た」と言われた 時代の演奏よりも、それに先立つ時期の、演奏精度や慣れといった点では見劣りがするかも知れない演奏の方が、マーラーの音楽の持つ特性を (もしかしたら半ばは無意識にであれ)掴んでいるのでは、ということだ。勿論、例によってそれを時代による演奏様式の変遷のような議論に縮退させてはならない。 歌は世につれ、ということであれば、テクスチュアに徹底的に拘った今日の高精度な演奏こそ相応しいということになるのだろうし、そうした意見にも一理あることは 確かだろう。だが私個人にとってはそうした「現代的なマーラー」は 不要とまではいわないが、少なくとも「今更マーラーを聴く理由」に照らしたときに、興味を惹くものにはなりえない。歌は世につれならば、そもそも今更マーラーを 聴く理由など無いはずではないか、というわけである。だからといって懐古趣味やら刷り込みというわけでもない。そもそも自分が生まれる前の演奏、 自分が文脈の持ち合わせのない演奏に対してノスタルジーを抱くというのは矛盾だ。「伝統」のようなものが不可欠であるわけではないのはバルビローリの演奏を 聴けばわかる。だいたい20世紀後半の日本にいる一介の音楽愛好家が、自分の立ち位置を棚に上げてマーラーの音楽の演奏の「伝統」を云々するのは、 客観的に見て滑稽ですらあるだろう。そもそも私は文化史とか社会学的な興味でマーラーに関心を持っているわけではないから、マーラーの音楽をそうした 文脈とか背景に還元することには反撥こそ覚えることはあっても、納得することはない。一方で日本での洋楽受容史みたいな視点も最近はよく見かけるが、 今度は自分がその内側の末梢に位置しているのだろうとは思っても、そこに今更マーラーを聴く理由が見つかるとは思えない。近衛秀麿の第4交響曲録音が マーラー演奏の録音史上特筆されるべきことであると言われても、貧弱な音質のその録音に今更マーラーを聴く理由を見出すことは私にはできなかった。 歴史的録音の蒐集には関心がないから、例えばメンゲルベルクの1939年の第4交響曲の演奏記録と同列に論じることなど私には思いもよらないことなのだ。

だが、それでも今更マーラーを聴くことに理由がないわけではない。このように始まり、このようなプロセスを持ち、このように終わる音楽が他にないから。 主題があり、動機がある。それはイデーを拒否した音の並びの対極にあって、単なる音響であることができない。だがその一方でそれらが辿る履歴は 独特で、因習的な仕方でなく、変容し、解体していく。だが解体してもそれはただの音にはならない。断片に過ぎなくても、それは断片であることを 主張する。引用も、自己引用もそうした前提あってのことだ。プロセスもまた、因習的な構造を極限まで押しひろげながら、それを壊してしまうことは 決してしない。自己を消去し、一旦すべてをリセットしてやり直すラディカリズムはそこにはない。寧ろ矛盾しつつ、変容しつつ、彷徨う自己の遍歴そのもの なのだ。他者の声が介入したり、自らをエミュレートしたり、眠りにおけるように忽然と消滅して、また突如として生起したり、巨視的に見ればある法則に 従っていることはわかるが、微視的には隙間や穴がたくさんあって、挙動が予測できない。垂直的にも水平的にもその組織は複雑だ。多彩なテクスチュア があり、再帰的な構造があり、中間的なユニットが存在する。それらは蠢き、くっついたり離れたり、分解したり、別のものになったりして、 決して同じでいることがないが、全体としてのコヒーレンスは辛うじて保たれている。意識の挙動について語る時、神経系の挙動のレベルとは別の水準が適切なことが 多いように、その挙動もまた、一つ一つの音のパラメータの値とその変化の方向や大きさの記述をしただけでは適切に記述したことにはならないだろう。 そしてそのプロセスは自然現象よりも意識の流れに遙かに近いように思われる。もともとは踊りのための音楽の連鎖であった組曲も、 ここでは全く別のものになりはてている。ここでもマーラーは単一楽章への圧縮による論理の徹底という方向性はとらない。 彼の音楽は複数の異なる楽章の継起でなくてはならないのだ。多元性、複数の層の 存在がマーラーの音楽には欠かせない。複数の楽章が無ければ、異なる文脈での素材の引用といったことはそもそも起きようがない。逆算したわけではなくとも、 結果的に組曲形式はパースペクティヴの複数性を可能にし、筋書きを重層化し、ストーリー・テリングを厚みのある複眼的なものにしている。そしてその音楽の 背後には常に或る種の志向が働いていて、それは複数の作品を跨いでその音楽を単なる多様式主義の混沌と化すことを拒んでいる。世界がどのような 相貌を持っているかは、主体のありようと相関的なものだ。そしてその意味において、このような音楽を私は他には知らない。

その軌道は複雑で、簡単に記述することを拒むけれど、一例を挙げれば第3交響曲の終楽章の練習番号26番におけるような、あるいは第8交響曲第2部の 練習番号156番におけるようなマーラーの音楽のあの強烈な「再現」に匹敵するものを私は他の音楽に見つけることができない。 それは単純な反復ではないのだ。あるいはまた枚挙に暇がない、マーラーの音楽における「後戻りができないポイント」の存在。そしてそうしたかけがえの ない何かは、これまた一例に過ぎないが、1952年にヴァルターの指揮のもとフェリアーが歌った「大地の歌」の終楽章のコーダの始まりのような、 自分が生まれる遙かに前の演奏記録にはっきりと刻印されていることが多いのだ。今日のコンサートホールでそれが聴き取れるないと言い切ることは できないだろうけれども、時間的にも経済的にもそれは非常に効率の悪い投資に感じられてならない。ライヴかスタジオかといったことも取るに足らないことで、 決定的な瞬間はスタジオでだって起きる時には起きるのは当然のことである。注意しなくてはならないのは、マーラーの音楽においてテクスチュア、音自体の 質が重視され、セカンダリー・パラメータの機能が重要になるからといって、徒らにそこにフォーカスした演奏解釈が「正解」であるわけではないということだ。 そうした恣意によって喪われるものは少なくないだろう。今更標題についての詮索をしたところで、マーラーの音楽の出てきた背景を明らかにすることは可能でも マーラーの音楽に辿り着くことはない一方で、「純音楽的」と呼ばれるアプローチが、マーラーの音楽そのものが持っている質の把握を保証するわけでもない。演奏解釈に おける「音楽だけが問題だ」という立場は、それはそれで結局は人間の営みである音楽に対する或る種の態度決定で、その結果として現象する「音楽そのもの」の 実質に対してそうした態度が特権的な立場にあるわけではない。マーラーはフェルドマンやクセナキスではないけれど、ベートーヴェンでもない。なんなら人間の心の 外界との相互作用を力学系で記述することにしても良いのだ。標題的・文学的解釈でなければ物理的な音響がすべて、という二者択一は論じる側の記述言語や 語彙の貧困を対象に押し付けているに過ぎない。適切な記述レベルを探すのは論ずる側の仕事のはずである。まあ、もしかしたら「適切さ」についての 基準自体が動いていて、ある価値を最大化するには、そうした単純化をした方が都合がいいのかも知れないが。

(なお、私にとってマーラーの音楽がより多く三輪眞弘さんの言う「録楽」であることにもまた、もう少し別の見方がありえるかも知れないという気がしている。 確かにマーラーは、ミュンヘンでの第8交響曲初演をその一方の典型例と考えられるように、コンサートホールで演奏され、聴取されるためにその音楽を 作曲した。だが、100年後の今日、それが日本のコンサートホールで演奏されることの意味合いは同じものである保証はない。マーラーの音楽は、 しばしばそう思われているように、未来のコンサートホールの聴衆のために書かれたのだろうか。私にはそうは思えない。そして、それがはっきりと過去の遺物である という認識が「録楽」としてマーラーの作品を聴くこととどこかで繋がっているように思えてならない。そのとき「録楽」として聴くことによって、その音楽の現代的な意義が 見えなくなっているのではという嫌疑があることは認めるが、果たして作用の向きはそちらだけだろうか。マーラーに関してはかつて、コンサートホールでの演奏にも 何度か接して、交響曲については辛うじて過半の作品の実演には接しているのだけれど、その経験を踏まえてもなお、今更マーラーの音楽を聴きに、 時間の制約がきつくてコストばかりは決して小さくないコンサートに足を運ぶ気にはなかなかなれない。しかもそこでの演奏が、私が聴きとりたいと思っている志向を 捉えてくれているという保証はないのだ。否、もはやそうして志向を現在の日本のコンサートホールで確認することは望み薄で、寧ろ積極的にマーラーは 「幽霊」であって、それゆえ「録楽」こそが相応しいのでは、という気がしてならないのだ。ちなみに同時代の音楽だけでなく、ブルックナーやショスタコーヴィチと いった作曲家についても必ずしもそうは思っていないから、これは私のクラシック音楽の受け止め方一般の徴候ではなく、相手がマーラーの場合に固有の 問題である。卵が先か、鶏が先か、あるいはすでにループの内に落ち込んでしまっているから、今更どちらかを区別するのは実際上不可能なのかも知れないが、 マーラーと私の間に広がる100年の時間と、地球半周分の距離、そしてそうした量では捉えられない文脈の隔絶には、寧ろ「録楽」と、解読を待っている投壜通信の ようなスコアこそが相応しいのではという感じがしてならないことは書き留めておきたい。仮にコンサートホールに足を運んでも、そこで聞く実演の方が寧ろ「影」に 過ぎないのでは、という感覚すら私にはあるのだ。これまた「投壜通信」の媒体に他ならないCDに収められた過去の演奏記録に接する時の方が、 所詮は過去の異郷の音楽であるマーラーに接するには相応しくはないのか。どこかで否定したいとは思いながら、そうした考えを否定することができずにいるのである。)

その一方で、マーラーの音楽のそうした特徴を適切に記述する語彙はまだ確立されてはいないように思われてならない。マーラーの音楽は人間の意識活動も 含めた活動の結果であるだけでなく、その活動自体の或る種のモデルであるように思われる。それは活動そのものの複雑さ、多層性、多様性を備えている。 私が(不正確な言い方であることはある程度は承知で)「意識の音楽」と呼んでいるのは、音楽作品自体にその音楽作品を産み出す活動の影が映りこんでいる ような類の音楽を指していて、勿論、マーラーの音楽だけがそうであるわけではないし、連続主義的な立場をとれば、どんな音楽も何らかの形で、程度の差はあれ そうだということになるかも知れないけれども、マーラーの音楽こそが典型であると思っている。その特質は、静的な楽曲分析によっては記述できない一方で、 標題のような次元を幾ら渉猟しても言い当てることが出来るはずがないものだろう。あるいはもしかしたら、マーラーの音楽に刻印されたような意識のあり方自体が もはや現代では失われつつあるのだ、ジュリアン・ジェインズの言う通り、意識のあり方そのものが変化していくのだという見方が正しいのかも知れない。 だがもしそうだとしても、マーラーの音楽に刻印された意識の様態を過去の遺物だとは思いたくないのだ。それを普遍的なものであると主張することはできないし、 そうすることに興味があるわけでもないが、マーラーの音楽のようなものを生み出すことができるような生物の活動を私は価値のある、かけがえのないものだと 思っているのである。それを精神の営みと呼ぼうが、意識の営みと呼ぼうが、あるいはそういう言い方を拒絶して、ある非常に複雑な機械の活動と見なそうと 構わない。マーラーの音楽の(動的な側面も含めた上での)構造、そうした構造を産出することができる機構に私は関心があるのだ。

要するに、それを意識の音楽と呼ぶかどうかは一旦おいても良い。いずれにしてもマーラーの音楽のような複雑さと豊かさと、ある種の志向を備えた音楽を 私は他に知らないのだ。志向において通じる試みが今日為されていないとは思わないし、その達成にも端倪すべからざるものを認めることに吝かではないが、 マーラーの音楽の替わりを見つけることはどうやらできそうにない。今日の音楽がマーラーのそれのようでないのには必然性があるし、寧ろそうでなくてはならないのだろうが、 だとしたら喪われてしまったものは、少なくとも私にとっては無しで済ませられないほど大きなものなのだ。今更ではあるけれど、マーラーの音楽がなくては 私は困るのだ。それは或る種の価値の要石であり、そうした価値なくして私は到底やっていけないだろう。いきなり卑小な話になるが、休みの日の 数時間にこうしたことを書き付けることによって、やっと精神のバランスが保てているのだ。私というシステムを維持するのにそれは必要なのである。(2009.5.24)

2009年5月23日土曜日

メンゲルベルクの第4交響曲演奏を聴いて

メンゲルベルクが1939年9月にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した第4交響曲の演奏の記録が残っている。フィナーレのソプラノは ジョー・ヴィンセント。当然モノラルだし、音質も細かいニュアンスを聴き取るのには些か辛いくらいのものだが、終演後の拍手も収められたコンサートの ライブ録音であり、演奏が持っていたであろう雰囲気は読み取れるように思えるし、コンサートホールの空気もまた、ある程度は感じ取ることができる。

マーラーに関する伝記的な書物を読んだことがある人なら、メンゲルベルクが生前のマーラーに如何に信頼されていたかは周知のことだろうし、没後の1920年5月には自らの コンセルトヘボウ管弦楽団指揮者就任の25周年を記念して「マーラー祭」を開催し、全管弦楽曲を次々と演奏したということもまたよく知られているだろう。 第4交響曲ということでいえば、アルマの回想録にも休憩を挟んで第4交響曲を2回演奏するコンサートを1904年10月23日に企画し、1度目はメンゲルベルクが、 2度目はマーラーがタクトをとったことを知らせる書簡が収められている。自身時代を代表する大指揮者であったマーラーを直接知る世代の指揮者としては ヴァルターやクレンペラーが有名だが、年齢的に言っても、実質においても彼らはマーラーに対して弟子とか部下といった関係にあったので、メンゲルベルクと マーラーとの関係と同列に論じることはできないだろう。(マーラーの生前に彼ら自身がマーラーの作品の演奏を活発に行ったかどうかを考えてみれば良い。) 中間的な位置にいるのがオスカー・フリートで、マーラーの生前からマーラーの作品の演奏はしていたようだし、没後になるが、マーラーのレコード録音としては 最初の録音を1924年に行っている(曲は第2交響曲。ちなみにそれに続くのが、1928年のかの有名なレーケンパーとホーレンシュタインの子供の死の歌である)。 だが書簡などを見る限り、マーラーの評価のメンゲルベルクに対する評価は例外的なもので、フリートとマーラーとの関係もまた、メンゲルベルクとマーラーの それとは比較にならないだろう。

話を「世界初録音競争」ということにしてしまえば第4交響曲の勝者は近衛秀麿と新交響楽団 (独唱は北沢栄)だし、そもそもこのメンゲルベルクの演奏記録が世の中に出たのは戦後もかなりたってからのことなのだが、そんな比較にさしたる意味があろうはずもなく、 要するに演奏記録が残っている指揮者の中でメンゲルベルクの占める位置は例外的なのだ。寧ろ私は、マーラーがピアノ・ロールに遺した自作自演(勿論 ピアノ編曲だが)の中にも第4交響曲を締めくくる歌曲「天国の生活」が含まれ、不完全ながらもこの第4交響曲でメンゲルベルクとマーラーの揃い踏みを 1世紀後に再現することができることに些かの感慨を抱かずにはいられない。

一方、1939年にヨーロッパがどのような情勢であったかを知識としてであれ確認することは、このコンサートの記録の歴史的な位置づけを知る上で意味あることだろう。 ヒストリカルな録音ということでいけば、1938年1月16日のヴァルターとヴィーン・フィルによる第9交響曲のコンサートでの演奏の記録も有名だろうが、その日付が ヒトラーによるオーストリア併合の僅かに2ヶ月前であることを確認することもまた、意味ないことではなかろう。ヴァルターの演奏のレコード録音が送られた先も、 ヴァルターが3月13日にアンシュルスを知ったのもオランダでのことであったが、そのオランダもまた1940年には占領され、政権は亡命することを余儀なくされるのである。 ドイツではすでに1937年の12月にユダヤ人の音楽活動をドイツから排斥する法令が出されている。当然マーラーの音楽の演奏は「御法度」になっていた。 戦後メンゲルベルクはナチス協力者として指揮活動を禁止され、その禁止が解ける前の1951年3月22日に没してしまったのはあまりに有名なことだが、 オランダにおいてとはいえ、1939年の時点でマーラーの交響曲を採り上げるというのが、恐らくはぎりぎりの選択であったことは想像に難くない。 (そういえば不幸なことにコンサートの途中で起きたハプニングもろとも記録されていることで有名なシューリヒトがコンセルトへボウ管弦楽を指揮した「大地の歌」の コンサートも同じ年のこと、しかもそれは病気でキャンセルを余儀なくされたメンゲルベルクの代役として演奏会であった。)

この有名な演奏記録に関してはすでに多くのことが語られているし、私の感想を付け加えることになど意味はないだろうと思うのだが、その一方で、 この演奏記録を聴いて感じられるのは、ロマン主義的な時代がかった解釈であったり、熱っぽい思い入れであったりではなく、寧ろ緻密でかつ 包括的な形式の把握に基づく知的な側面であり、しかもそれはソナタ形式を図式的に捉えて曲に押し付けて、はみ出た部分を逸脱として 整除してしまうのではなく、寧ろこの音楽の持つ独特の形式感を巧く捉えているように感じられたことは書いておきたい。こうした把握は時代の流行の スタイルのようなものとは別の次元にあるようで、ある時代の演奏には一律欠如していて、近年の演奏には備わっているといったような議論を 受け付けないものと私には思われる。勿論、正解が一つあるというものではないだろうし、そうした「傾向」の分類をしたら別のカテゴリに入れられてしまう 2つの演奏が、それぞれ違っていながら独特の形式把握を示していて、同じカテゴリの他の演奏とは異彩を放つ、というようなことさえ起こりうるのではないか。

もう一つ、指揮者のメンゲルベルクもさることながら、1939年当時のコンセルトヘボウ管弦楽団には、恐らくマーラーを知る演奏者がまだ少なからず居たに 違いない。マーラーは上述の1904年のコンサートだけでなく、何度もアムステルダムを訪れて指揮をしている。私にはそれを調べるだけの余裕がないが、 マーラーの自作自演を創り上げた奏者がこの1939年の演奏にも恐らくは参加しているのではなかろうか。マーラー自身とメンゲルベルクによる演奏の伝統が この演奏には息づいているに違いないのだ。メンゲルベルクがマーラーを演奏している回数は1920年4月までで200回を超えたというパウル・シュテファンの 報告が遺されているが、そのすべてがコンセルトヘボウとのものではないにせよ、かなりの回数をコンセルトヘボウ管弦楽団が演奏しているのは間違いない。

そしてその伝統は今日まで引き継がれているに違いないのだが、ことマーラー演奏に関しては、ベルリン・フィルは勿論、ヴィーン・フィルですら、そうした「記憶」を保持しているとは言い難いだろう。 (そのかわりウィーンのオーケストラはマーラーの音楽の背景をなず層についての「伝統」は持ち合わせているのだろうが。)バルビローリのベルリン・フィルとの 演奏記録など、これはこれで出会いの新鮮さによるのかも知れない或る種の昂奮や緊張が感じられて素晴らしいのだが、一方で明らかに弾きなれていないが ゆえの傷も少なくない。一方、コンセルトヘボウ管弦楽団について言えば、第二次大戦の中断を無視することはできないにしても、やはり些か事情が異なって そこには或る種の伝統と呼びうるかも知れない記憶とその継承があるのではなかろうか。

それに比べれば、近年のオーケストラにとってマーラーは最早未知のレパートリーではないのだろうが、そこにはある時期までのコンセルトヘボウ管弦楽団の 演奏にははっきりと感じ取れた記憶もなければ、出会いの新鮮さもないように感じられてならない。演奏技術は上がり、録音・再生の技術も上がり、 それゆえ録音を通しても、微細なニュアンスの変化が感じ取れるようになったと言われるし、確かに微に入り細に入った解釈や演奏が繰り広げられているのだろうが、 そこには録音の限界を超えてメンゲルベルクの演奏からかくも濃厚に伝わってくる何かが欠けているように思えてならないのである。

メンゲルベルクの演奏は、一部の評者が言うような「細部の彫りの浅い」(喜多尾道冬)、あるいは「一つ一つの音のニュアンスということに関しては、 残された録音の音質の悪さを差し引いて考えても、十分な表現を行っていたとはいい難い」(渡辺裕)演奏なのだろうか。後者の論で対比される演奏の代表格は、 これまた私がよく聴くインバルの演奏なのだが、インバルとメンゲルベルクの演奏に違いがあることは勿論のこととして、その違いの内実が上記のような メンゲルベルクの演奏への評価を一方の前提とするようなものなのかについては私は留保したいように感じている。 後者の議論に沿って言えば、インバルの演奏が近年の解釈の行き方の特徴のあるものを典型的に具現しているということは認められても、 「音の表情の復権」という言葉に集約されるらしい「ポストモダン」時代の演奏が、マーラーの意図をようやく闡明しえたとする主張には何かひっかかりを 感じずにはいられないし、インバルの演奏が確かに指摘されるような特徴を備えているのは確かであるにしても、それだけではインバルの演奏が備えている 或る種の質を捉えたことにはならないように思えてならないのだ。それはインバルの演奏を批判する評言の定型である、細部のリアリティと引き換えに、 毒気のないものになっているという意見と実はあまり隔たっていないのではなかろうか。(こういうからには勿論私はインバルの演奏を、そのようなものとは聴いて いないのだが。)

マーラーの音楽にとって、いわゆるセカンダリ・パラメータと言われる次元が重要であることには異論はないのだが、にも関わらず、何か分類の軸が ずれているような、パースペクティブが歪んでいるような感覚を抑えることができない。改めてメンゲルベルクの演奏を何度か聴いてみたが、結果は寧ろそうした 違和感を強めることになったように感じている。「ポストモダン」時代の演奏の特徴として一括りにしてしまうと落ちてしまうような次元こそが、私がある演奏を 聴いて惹きつけられるポイントであるのではないかと思えてならないのだ。そもそも音色のようなパラメータを独立の次元として取り出して操作するのは、 それ自体寧ろモダニズムの伝統の流れの裡にあるのではないのか、今日の「知的」な解釈は、寧ろマーラーの音楽の巨視的な形式、その特異な 流れのプロセスに背を向けて、局所的な、そしてその限りではアピールしやすい特徴によって差別化を図るようなことになってはいないだろうか、といった 疑念を振り払うのは難しい。

そうした傾向は至って現代的なものには違いなく、そういえばどこかの複雑系の研究者が怪しげなアナロジーを振り回しながら、ケージの 音楽を称揚しつつ「ストーリーテリングからテクスチュアへ」などといったコピーを振りまいているのを見かけたりもするし、同様にケージの音楽をはじめとする論者お気に入りの 幾つかの「現代音楽」が持っているらしい時間性とやらをもって伝統的・ロマン主義的な音楽の時間性を批判するような論調も目にしたことがある。 勿論そうした論陣にとってはマーラーなど過去の遺物であって、最早賞味期限の切れた存在なのかも知れないが、生憎私は、彼らが顕揚するテクスチュアやら 根源的な音自身の本当の時間とやらよりは遙かに多くのものをマーラーの音楽から受け取っているし、始まりや終わりを否定すること(それがいとも容易いのは 判りきった話ではないか、、、)よりも、どのように始め、どのように終わるかについてのマーラーの飽くなき探求の道行の方が遙かに刺激的に感じられる。 だからというわけでもないだろうが、ある時期以降のマーラー演奏に顕著な、磨き上げられたディティールと多彩な音色としなやかな旋律を備えながら、ちっとも 音楽のプロセスが見えてこなかったり、逆にあまりに見え透いたプロセスに縮退させられているかのような方向性については、そちらはそちらでマーラーの音楽の 持つある側面だけを自分の都合の良いように利用しているだけなのでは、と思えてならないのである。そう、多分マーラーを聴くことは今日において、 レヴィナスが言うような意味合いで「アナクロニック」な営みなのではないかとさえ思えるのだ。

そもそも演奏の類型論のようなものの危うさは、テンポの変化であるとか、演奏時間の長さといった、誰にでもわかる、そして実は定量化しようと 思えば比較的容易にできるような分類軸を用いることが多く、そこに時代の様式の影響や、伝統の有無、民族性といった要因を絡めた議論になる傾向にある。 その限りでは、直感的で裏づけを欠いているかに見える印象批評も、データを駆使した分析も実はあまり変わることがない。だが、果たしてそうした次元のみで ある演奏が心に訴える所以を説明できるのだろうか、という疑念は拭い難く存在する。否、ごく単純に言って、私が感動を覚える幾つかの演奏の間には そんなに単純な共通点など見出せない。それぞれがユニークであり、異なった視点からマーラーの音楽の持つ途方もない複雑さに光を当てているように 思えるのである。

勿論、時代の一般的な傾向を論じ、社会と音楽との関係を浮び上がらせるのが音楽社会学の仕事なのだろうし、だから私がぶつぶつ言っているような 違和感を訴えるのはお門違いなのだろうとは思う。だが、もしそうだとしたら、音楽社会学とは結局音楽の何について論じていることになるのだろう、 音楽はそれ自体、或る種の素材に過ぎないのだろうか、という疑問は押さえ難いし、そうした疑問は、音楽社会学としては、それはそれでマージナルな 位置にいるのであろう、アドルノの議論に対してもふと感じる瞬間がある。その一方で、マーラーの音楽を語る適切な「言語」を用意するという観点で アドルノは大きな寄与をしていることは明らかに思えるのに対して、演奏解釈についての議論の方の寄与については、少なくとも現時点での私には 明らかではない。だが、メンゲルベルクの演奏に備わっていると思われる或る種の質、恐らくは「伝統」とか「記憶」とかに基づいているのであろうそれが、にも関わらず それらを扱うべき領域であるはずの歴史学的な、あるいは社会学的な説明には還元できないものなのではないかという感覚の方は はっきりしたものなのである。多分本当に大切なのは「伝統」やら「記憶」の内容よりも、それらを支える動きなのではないか、そしてそうした運動の伝播は 時代と場所の隔たりを超えて起きるものなのではないか。メンゲルベルクの第4交響曲の演奏記録は、そんなことを私に感じさせた。(2009.5.23/12.3)