2007年6月30日土曜日

アドルノのウィーン講演(1960)より

アドルノのウィーン講演(1960)より(Taschenbuch版全集16巻pp.337--338、邦訳:酒田健一編「マーラー頌」pp.317)
(...)

In Mahlers Musik wird die beginnende Ohnmacht des Individuums ihrer selbst bewußt. In seinem Mißverhältnis zur Übermacht der Gesellschaft erwacht es zu seiner eigenen Nichtigkeit. Darauf antwortet Mahler, indem er dir Form setzende Souvränität fahrenläßt, ohne doch einen Takt zu schreiben, den nicht das auf sich selbst zurückgeworfene Subjekt zu füllen und zu verantworten vermöchte. Er bequemt sich nicht der beginnenden Heteronomie des Zeitalters an, aber er verleugnet sie nicht, sondern sein starkes Ich hilft dem geschwächten, sprachlosen zum Ausdruck und errettet ästhetisch sein Bild. Die Objektivität seiner Lieder und Symphonien, die ihn so radikal von aller Kunst unterscheidet, die in der Privatperson häuslich und zufrieden sich einrichtet, ist, als Gleichnis der Unerreichbarkeit des versöhnten Ganzen, negativ. Seine Symphonien und Märsche sind keine des disziplinierenden Wesens, das triumphal alles Einzelne und all Einzelnen sich unterjocht, sondern sammeln sie ein in einem Zug der Befreiten, der inmitten von Unfreiheit anders nicht zu tönen vermag denn als Geisterzug. Alle Musik Mahlers ist, wie die Volksetymologie eines seiner Liedertitel das Erweckende nennt, eine Rewelge.

(…)

マーラーの音楽のなかで個人の無力のはじまりが自覚されるのです。社会の圧倒的な力とのバランスを失った個人が、おのれの無価値に目覚めるのです。これに対してマーラーは、形式を定立する主権を放棄し、だがそれにもかかわらず、自己自身へと投げ返された主観によって満たされ、かつ責任をまっとうされていないような小節は一小節も書かないということによって答えるのです。彼は、はじまりつつあった時代の他律的傾向に順応しようとはしません。しかし彼はそれを拒否するのではなく、彼の強大な自我によって他の弱体化した、もの言わぬ自我に表現への道を用意してやり、その形姿を美的に救出するのです。私生活のぬくもりのなかで自足しているすべての芸術から彼を根本的に区別するあのリートや交響曲における客観性も、宥和的な全体に到達することの不可能性の比喩としてみるならば、ネガティブなものです。彼の交響曲や行進曲は、あらゆる個物、あらゆる個人をおのれの膝下に屈服させて凱歌をあげる軍事教練的な性格なものではなく、これらの個人を結集して解放された人びとの一隊をつくりあげようとするものです。ただこのような一隊も、自由を奪われた状況のただなかにあっては幽霊の行進にしかなりえないのですが。彼のリートの題名のひとつ、『レヴェルゲ』が民間語源的には目覚ますものを意味しているように、マーラーの音楽はすべてレヴェルゲなのです。

 アドルノの、これは1960年のマーラー生誕100周年記念の講演の末尾の部分。歌曲「起床合図」に言及した最後の文章は特に有名だろう。 (これにちなんで言うと、対をなす「少年鼓手」の方は、処刑を前にしてGute Nacht!と叫んで終わるのであって、内容上もまさに対をなしている。また 目覚めているということでいけば、同じWunderhornliederの中のDer Schildwache Nachtliedでは、Verlone Feldwachtが登場し、最後は 終止形に到達することなく、Feldwachtという単語を引き伸ばして終わる。勿論、更にRückert LiederのUm Mitternachtへと連想を延ばすこともできるだろう。)


アドルノは社会と個人の関係を問題にするが、―そしてそれは勿論正しいのだろうが―、個人が己の価値の無さに思い当たるのは、別に社会の力に よってだけではないだろう。個人が社会に拘束されているという契機を軽視することはできないだろうが、それでも、社会的なものだけが個人を制約する わけではない。生物学的な限界もまた存在する。ここでアドルノがいわゆる中期のマーラーの「客観性」への言及で話を結んでいるのは、そういう意味で 妥当なのだ。だが、後期はどうなのか、後期様式に見られる―シェーンベルクがとりわけ第9交響曲について指摘した類の―非人称性についてはどうなのか、 というのが最近の私の関心の中心の一つである。社会がどうであれ、「否定性」というのは主観に、意識に予めプログラムされた徴なのではないか、と思えて ならないのだ。意識というのは、遺伝子の搬体たる生物としての個体に比べてもなお、儚く取るに足らないものなのだから。

そうした問題はおくにしても、このアドルノの指摘の的確さは、全く驚異的だと思う。マーラーの音楽がそうした儚い「主観性の擁護」であるという考えは、 まさにこうしたアドルノの言葉で言い尽くされてしまっているとすら思えるほどである。

なお、この講演は酒田健一編の「マーラー頌」で読むことができるが、それ以外にも例えば、シュライバーのマーラー論の「証言」の棹尾を飾るものとして 収めされている(ただしDie Objektivität seiner Lieder und Symphonien, 以降最後まで)。ただし、こちらの邦訳はその最初の文の従属節の解釈がおかしくて、 それだけ読むと、意味が逆転しているようにとれてしまうし、その後の文章も、恐らくはわかりやすくしようとして節の順序を入れ換えたり、原文の構造を崩して 言い換えたりしているのだが、結局、かえって意味がとりにくくなっているように見受けられるので、邦訳を利用する場合には注意が必要だと思われる。

別にけちをつけるのが目的でやっているのではないから、こうやって引用にコメントするたびに邦訳に対する疑義を書くのは本意ではないのだが、 幸か不幸か、そうせざるを得ない場合が多いのは遺憾なことだ。だが、気づいてしまったものを書かなければ備忘の用をなさないので、 止む無くコメントを残しておく次第である。(2007.6.30 執筆・公開, 2024.8.11 邦訳を追加)

2007年6月23日土曜日

ヴァルターの「マーラー」より:その「人」についての回想

ヴァルターの「マーラー」より(原書1981年Noetzel Taschenbuch版p.113, 邦訳p.207):その「人」についての回想
Es erscheint mir als die große moralische Leistung seines Lebens, daß er sich niemals über die Qualen der Kreatur und die seelischen Leiden der Menschheit mit dem achselzuckenden Ignorabimus des Philosophen beruhigte, um den Blick ungestört dem Schönen und Beglückenden des Weltbildes zuwenden zu können. » Daß du ihr Vater nicht, daß du ihr Zar «, diese Worte aus der Totenfeier des Mickiewicz konnte er in düsteren Momenten auch zu Gott sagen. Aber dann fühlte er wieder, daß hier ein Mißverständnis walten müsse, und blieb der Aufgabe, die ihn gewählt hatte, treu: zu leiden und einen göttlichen Sinn darin zu suchen.

 かれが生きるものの苦悩に黙従せず、また「われわれはそれを決して知らざるならん」と、肩をすくめる哲学者の態度で、人間の精神苦を受け流すこともしなかったことこそ、かれの人生の偉大な道義的完成であったと思う。かつそれならばこそ、かれは、この世の全領域における美しきもの、幸いなるものを熟視しつつけることができたのである。「君は人類の父であるばかりではなく、また皇帝!」とのミッキェヴィッツの詩「葬儀」の中の言葉は、また、かれが、暗鬱なときに、神に対していうことのできたことばであった。しかし、その発作は短時間であった。かれはどこかに解けきれぬ誤りがあるように感じて、かれに与えられた問題に真剣にとり組んで、そのなかに、神慮を求めんと苦しんだのであった。 

ヴァルターはここで晩年のマーラーが彼宛に送った書簡を思い浮かべながら、マーラーの「態度」について非常に説得力のある説明をしていると私には思われる。 この文章には、長年に亙ってマーラーと親しく接した人ならではの、決して一時の印象に引きずられない視線が感じられる。(もとの書簡も「語録」の方で 紹介しているので興味のある方は参照されたい。)
こう言ってしまえば身も蓋も無いかも知れないが、人間は矛盾に満ちた存在で、その歩みは決して論理的に整合的なわけではない。ある経験を介して、 一方の極から他方の極へと飛躍することだって、無くはないし、それを責めることは(少なくとも我が身を振り返れば)できない。 ヴァルターはそうしたマーラーの歩みに見られる不変項を取り出しているのであろう。 そしてこうした印象が決して個人的なものではなく、例えば、決して親密とはいえなかったヴァルターとアルマの両方から 聞けるというのは、それが必ずしも主観的な偏見の産物とは言えないことを示しているだろう。アルマもそうだが、ヴァルターにしても決してマーラーの「欠点」に 対して盲目だったわけではないのは、この回想を通読すればはっきりと窺えることでもあるし。
だが、これはマーラーの「人」に対してのコメントであって、その音楽はまた別のものだ、という意見に対しては、ヴァルター自身のマーラーの「作品」についての言葉が 反論することになる。(2007.6.23, 2024.7.26 邦訳を追加。2024.7.28 修正。)

2007年6月18日月曜日

アルマの「回想と手紙」にある「子供の死の歌」作曲に関するコメント

アルマの「回想と手紙」にある「子供の死の歌」作曲に関するコメント(アルマの「回想と手紙」原書1971年版p.97, 白水社版邦訳p.85)
... Er vollendete die Sechste Symphonie und vermehrte die zwei Kindertotenlieder um drei weitere, was ich nicht verstehen konnte. Ich kann es wohl begreifen, daß man so furchtbare Texte komponiert, wenn man keine Kinder hat, oder wenn man Kinder verloren hat. Schließlich hat auch Friedrich Rückert diese erschütternden Verse nicht fantasiert, sondern nach dem grausamsten Verlust seines Lebens niedergeschrieben. Ich kann es aber nicht verstehen, daß man den Tod von Kindern besingen kann, wenn man sie eine halbe Stunde vorher, heiter und gesund, geherzt und geküßt hat. Ich habe damals sofort gesagt: » Um Gottes willen, Du malst den Teufel an die Wand!«

(…)彼は『第六交響曲』を完成し、これまで二曲だった『亡き子をしのぶ歌』にさらに三曲書き加えた。私にはこうした執着が理解できなかった。子供のない人か、子供に死なれた人ならば、こういう恐ろしい詩に作曲することもわからないではない。じっさいフリードリヒ・リュッケルトにしても、この心をゆるがすような悲しい詩をたんなる空想によって書いたのではなく、子供を失うという生涯でもっとも無残な体験をしたのちに筆をとったのだ。しかし元気にはしゃいでいる娘たちを抱きしめたりキスしたりしてからものの三十分もたたぬうちに、子供の死を歌にできるというのはどういうことか。私はあるとき思わすこう言ったものだ。「ああ、お願いよ。不幸を呼ぶようなまねはよしてちょうだい!」 

私見では、もし人と作品との間の懸隔を語るのであれば、後期作品よりも寧ろ「子供の死の歌」こそ問題にされてしかるべきだと思われる。

引用したアルマの回想の記載とは細部において異なるのだが、現在の通説では、「子供の死の歌」は1901年に1,3,4曲、1904年に第2,5曲が追加された ということになっているようだ。いずれにせよ、この歌曲集については、なぜこのような詩に曲を付けようと思ったのかについては、少なくとも説明なり 解釈なりを要する「問題」ではあるだろう。この1904年の時点においても彼が長女を喪うのはまだ先のことだし、1901年に至っては、まだ結婚すらしていない のである。

一方でこの事実を逆手にとるかのように、精神分析学的な解釈に基づくかどうかによらず、この曲を「預言的な」もの、あるいは 「現実が芸術を模倣する」例であると主張する意見もまた存在する。個人的にはそうした方向の説明なり解釈には関心がない(私が知りたいと思うことの 説明になっていないから)ので、その当否を論じることはしないが、いずれにせよ、ここでのアルマの叫びは―もっとも彼女は 回想して書いているのではあるけれど―全く正当なものであるように感じられる。

しかも、アルマのこの発言は、それを「創作の謎」として、一般人には理解し難い領域に押しやることを禁じてしまってもいる。少なくとも彼女も 作曲をした以上、「一般論」として、作品と人生の関係はそんなものだ、などとは言えないだろうから。それはマーラーという個別のケースの謎なのだろうか? 「天才的な肉食獣」の謎?

勿論、そうした事情は取るに足らぬこととして、当時の「世紀末の流行」のテーマを取り上げたのだ、という説明で乗り切ってしまうこともできるのかも 知れない。だがそうした文化史的な還元による説明は上述の「預言」もどきの解釈を脱神話化する効果は認めることはできても、あのアルマさえ たじろいだ「マーラーの場合」の特殊性を説明し切れていないように思われてならない。何より、作品の持つ破壊的なまでの強度がそれに異議を唱えて いるように思えるのだが、、、(その強度は、例えば情景描写の克明さとか、嘆きの表現の巧みさなどから、この作品が全く背を向けてしまっていることに よって寧ろ強められていることにも注意すべきだろう。)

この作品と比較すべきは、(勿論、文化史の研究としては、重要なテーマかも知れないが、ここではそれは関心の外なので)同じテーマを扱った 同時代の他の作品などではなく、寧ろ彼自身が後に書いた「大地の歌」ではなかろうか。出来上がった作品も、生成史もひっくるめて、 「大地の歌」に繋がる要素、「大地の歌」と異なる要素を個別に見極めていく必要があるのだろう。いずれにせよ、「子供の死の歌」がマーラーの 創作の秘密を解く一つの鍵であることは確かなことに感じられる。私の前ではその鍵は最後まで開かないかも知れないが。(2007.6.18 執筆・公開, 2024.8.11 邦訳を追記。)